木村ちゃんです。
こんにちは!
あまりにも当たり前過ぎて、気づきにくかったことに気づきました。
ちょっとシェアさせていただきます。
幼少の時、悲しいことが起こって
とても悲しくて、どうしようもなくて、かまって欲しくて、自分自身の身を守るために、
僕は、かわいそうな存在なんだ、だから優しくてして欲しいし、同情して欲しいとずっと思っていたことが、今はっきりとわかりました。
だから、その思考通りに現実がつくられていったのです。
例えば、中学の時、野球部に入りました。
当時、先輩からのいわゆる指導がありました。
一年生の新入部員は、みんなバットでお尻を思い切り、三年生の先輩から打たれていました。
しかし、僕だけ、打たれることはありませんでした。
僕は、何も口には出していませんでしたが、ある時先輩が話しているのが聞こえてきたのです。木村ちゃんは、~でかわいそうだから、バットで打つのはやめておくと。
その時は良かったくらいにしか思っていたのですが、
その当時、僕からは、僕は、かわいそうな存在だから、同情してオーラがめっちゃ出ていたんでしょうね(笑)
そして、心許せる人には、つい話し過ぎてしまうことも、
この観念から来ているのでしょう。
僕がこう思っているから、その気持ちわかって欲しいという観念もあったのだなと今、感じました。
ごめんなさい、不快な思いをさせてしまいましたね。
何も悪気はなかったのです。
ただ、そういう自分に気づいてなかったのです。
そんな観念、自己イメージ、もう必要ありません。
今まで現実をつくってくれてありがとう。
子ども時代はすごく助けられたよ。
でも今は必要ないんだ。
ただ本当の意味で自分を認めて愛してあげたらいいんだということがわかったから。
思考が現実化するという法則がどこまでも例外なく行き渡っていることがわかったから。
僕の思考がすべてつくりだしていて、そのつくりだした本人が、
それに気づかないなんて、なんておかしなことだと笑えることが出来たから。
だから、僕が僕の思考に責任を持てばいい。
どんな思考をしているのか、僕の上から観察したらいい。
心がざわついたら、そっちの方向じゃないよという、本来の僕からのサイン。
そして本来の僕に戻ればいいだけ。
だから、こうしたらまわりの人がどう思うかどうかは、関係ない。本来の僕自身がどう思うか、感じるかに焦点をあわせればいい。
魂友が教えてくれたように、
ただ愛あふれる存在でいさえすればよい。
自分自身も相手もその愛で包み込んであげるだけでいい。
お読みいただきありがとうございます。