ちなみに、日本で一番最初の国葬は岩倉使節団の岩倉具視の葬儀でした。
また、国葬のモデルとなった人物は大久保利通と言われています。
岩倉使節団の有名な写真。
真ん中が岩倉具視、右端が大久保利通。
執筆者の尊敬する人物の一人です✨
大久保利通は新暦の1830年9月26日生まれで、5月14日に暗殺されました。
漫画「るろうに剣心」で覚えていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
大久保利通は維新三傑の一人で、薩摩藩(現在の鹿児島県)のリーダーとして西郷隆盛らと明治維新を成し遂げました。
さて問題です。鹿児島県の場所はどこでしょうか?
答えは一番下に表示します。
大久保は胃弱でした。また、日記には腫れ物ができた、などと記していたり、箱根など湯治にもよく出かけていました。あと、当時は座りっぱなしや馬での移動もあったことからか、痔の政治家は多かったです。あと、禿げていました。禿げは大変気にしていて、人と会う時は一時間くらい髪をセットしていたそうです。
↑私のイチオシの写真。整っています。
腫れ物ができたときは外国人医師に診察してもらうなど、当時の市井の人々から見たら贅沢なことなのでしょうが、国のリーダーにはやはり必要なことであったと思う執筆者です。
こういった病を羅列する割には喧嘩の仲裁をするために畳を持ち上げて踊ったりなど、豪胆なところもあります。
(こういうギャップがファンの心をくすぐります。)
ちなみに私が食べすぎで胃腸が弱ったときは、市販の胃腸薬を大人しく飲みます。たいてい功を奏します。
説明書の中には「カンゾウ」の文字。これは漢方の薬ですね。
昔の人は漢方薬を煎じていたのでしょうが、今は個人では中々できない贅沢です。
岩倉具視の国葬の紹介?
失礼いたしました、目下研究中です。
本日の霞ヶ関の写真18時半ごろです。
奥に見える光っている建物は国会議事堂です。
国葬の影響か、いつもより警察の方が警備に当たっていました。
そうそう、菅義偉前首相の弔辞の最後に面白い句があったので紹介します。
かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
これは、山縣有朋が伊藤博文の死の際に送った言葉だそうです。二人のことは機会がありましたらまた語りますが、今日は静かに故人を偲びたいと思います。
【答え合わせ】
鹿児島県の場所はこちら。
赤い所です。
一人で運転すると、車で1日くらいかかります。



