江戸時代も今と同じで温泉は人気がありました。

気楽に旅行できる時代ではなかっただけに、多くの庶民は憧れに近い目で遠隔地の温泉を見ていたのでしょう。


江戸時代には見立番付といって、人気ランキングを相撲の番付に見立てて順位を付けることが流行りました。

温泉番付も発行されていて、どんな温泉が人気があったのか分かります。

番付では行司役と勧進元、差支配人は別格人気で、以下は大関、関脇、小結、前頭の順となります。

 

諸国温泉功能鑑」によると、行司役には「紀州 龍神の湯」「伊豆 熱海の湯」「上州 さわたりノ湯」(沢渡温泉)「津軽 大鰐の湯」が並び、勧進元は「紀州熊野 本宮の湯」、差配人(副主催者)として「同所 新宮の湯」とある。今の那智勝浦温泉である。
 

東の大関は「瘡{そう}どく三病諸病ニよし 上州草津温泉」。瘡毒とは梅毒、三病とはハンセン病、てんかん、うつ病であるから万病に効くということである。
草津温泉は初夏から晩秋までの半年だけ営業し、寒い期間は旅館も閉鎖した。山中とはいえ、新鮮な川魚のあらいが食べられ、一流の芸人の芸が観られた。


関脇は「諸病ニよし 野州那須湯」。余談ではあるが、個人的に好きな湯である。
小結は「眼病ひつひぜんニよし 信州諏訪湯」。ひつとは、江戸訛りで「しつ」のこと。湿瘡である。ひぜんとは皮癬で、いずれも皮膚病である。


前頭筆頭「切り傷 打ち身ニよし 豆州湯河原」、前頭二枚目「しつひぜんによし 相州 足の湯」(箱根・芦ノ湯温泉)、三枚目「瘡毒諸病によし 陸奥嶽の湯」。


西を見ると、大関として「諸病ニよし 名泉あり 摂州有馬湯」。
関脇「万病ニよし 但馬城ノ崎湯」(兵庫県)。
小結「諸病ニよし 豫州 道後温泉」(愛媛県松山市)、前頭筆頭は「加州山中湯」(石川県)、二枚目に「しつひぜんニよし 肥後阿蘇湯」、三枚目には「諸病ニよし 肥後温泉湯」(長崎県・雲仙温泉)と続く。


皮膚病はともかくも、梅毒などに効くと宣伝しているのをみると、江戸時代はよほど梅毒患者が多かったのだろうか。
それはさておき、江戸時代の庶民はこのような番付を見ながら、まだ見ぬ温泉に思いを馳せたに違いない。

 

(この記事は1012.5.28「大江戸百花繚乱」を修正・加筆して再掲載したものです)