太平洋戦争では、奇襲作戦が多用されたと言います。

 

軍備でも、人数でもはるかに劣っていた日本軍は奇襲作戦に頼らざるを得なかったのです。

いざとなれば、神風が吹いて、不利な戦況を逆転できるという皇国史観もありました。

 

昨今の研究では奇襲作戦ではなかったという説もありますが、織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いが奇襲戦法としてはもっとも有名でしょう。

そのほかにも毛利元就が陶晴賢(すえはるかた)を破った「厳島の戦い」、北条氏康が足利晴氏と上杉憲政の連合軍を破った「河越夜戦」がよく知られています。

これらの合戦のせいで、旧日本軍の中に事実以上に奇襲戦法を有効とする傾向が生まれたと言います。

 

「『合戦』の日本史」の中で本郷和人氏は、

 

最新装備も食糧も人員もないなかで、最後は精神論のみで戦わされることになったのも、こうした幻想がまことしやかに語られていたからではないかと思います。皇国史観を信奉する歴史学と軍部が強く結びついたことで、このような幻想が生まれたのです。

 

と書いています。


奇襲戦法については、

 

命令系統がちゃんとしていて、的確な指示を受けて戦うことができれば、かなりの兵力差を簡単にひっくり返すことができるのです。

 

としながらも、

 

奇襲戦というものは、いつでも使えるものではありません。稀なものだから意味を持ちます。だからこそ、織田信長は桶狭間の戦い以降、奇襲戦に打ってでることはありませんでした。

 

あくまでも合戦の大原則は「戦いは数である」。この前提があってこそ、奇襲は成り立つのです。

 

と明言しています。

 

合戦について詳しい記述は兄弟ブログ「大江戸百花繚乱partⅢ」に記載しています。

興味がある方は、ぜひご覧ください。