「オッペンハイマー」を観にいきました。

3時間を超える大作なので、シニアとしては事前に水分を控え、トイレ対策をしてからの鑑賞です。

ご存じのとおり「オッペンハイマー」は7部門においてアカデミー賞を受賞した作品で、評論家からの受けも大変によく、さらに興行的にも第二次世界大戦を扱った作品としては歴代1位の大成功を収めています。

 

 

オッペンハイマーとは、原爆の父と呼ばれたアメリカの物理学者であるロバート・オッペンハイマーのことです。

オッペンハイマーは、広島と長崎に投下された原爆の開発責任者でした。

クリストファー・ノーラン監督は賛同も批判もすることなく、オッペンハイマーを描いていきます。

反戦映画でも反核映画でもありません。

重たい内容をかなり重たく扱っているのに、興行的にもここまで成功したのは不思議です。

 

冒頭からぐいぐい惹きこまれて、あっという間の3時間だという意見もありました。

ですが……。

寝不足であったせいもあるのでしょうが、自分は冒頭からとても眠くなってしまいました。

 

 

映像も独特で、時折あらわれるオッペンハイマーの心象風景とでもいうべき映像は、好き嫌いが分かれるところではないでしょうか?

自分は……。

ちょっと嫌いです。

 

 

眠くなった原因は登場人物に嫌な人が多すぎるところにもあります。

原爆が大量殺人兵器に使用されることを当然、知っていながら開発しておいて、いざ使用されるとプロメテウスに自らを重ねるオッペンハイマーにはどうしても共感できません。

原爆開発に誘われた仲間が、

「化学の集大成が殺人兵器であってはならない」

と抗議したとき、オッペンハイマーは、

「確かにその通りだが、ナチスに先を越されてはとんでもないことになる」

といって開発の正当性を主張します。

これは正義感からではなく、ドイツの学者に負けたくないというライバル心によるものではなかったのか、と思ってしまいます。

 

トルーマン大統領も嫌なやつです。

彼は原爆投下で日本に降伏の機会を与えた、原爆投下がなければもっと多くの人命が失われたであろうと自らの判断を正当化しています。

ですが、彼にとって大事だったのは原爆投下によって、早く戦争が終結し、アメリカ人兵士の命が失われないことだったのです。

アメリカ人の命を前にして、日本人の命などどうでもよかったに違いありません。

会見のとき、トルーマンは、

「自分の手が血塗られたように感じます」

と告げたオッペンハイマーの言葉に激怒したといいます。

その言葉を認めてしまえば、自らの非をも認めることになるからだったのでしょう。

ほかにも、オッペンハイマーの妻もいやなやつだし、愛人もある意味、いやなやつだと思ってしまいました。

 

オッペンハイマーは、

「考えられないような規模の兵器を作ればそれが戦争への抑止力になる」

と言ったと伝えられますが、そんなきれいごとを胸に抱きつつ原爆の開発をしていたのかどうか疑問が残ります。

救いは、第二次世界大戦後、水爆の開発に反対しづけたところくらいでしょうか。

 

この映画が支持された要因としては、この映画にアメリカ人がアメリカの良心を見出したからだと思います。

原爆の悲劇を深く理解しているアメリカ人は多くありません。

そんな知識不足の中、この映画を観て褒めることがアメリカ人としての贖罪であり、インテリ的な行為だと捉えられているように思えてなりません。

原爆を落とされた国の人間としては、原爆開発が失敗に終わることを強く望みながら観た作品でした。