ソフィア・コッポラ監督の「プリシラ」を観にいきました。

 

エルビス・プレスリーの妻となったプリシラ・プレスリーを描いた映画です。

シャネルとヴァレンチノの協賛を得て、全編おしゃれな映像となっています。

 

ソフィア・コッポラ監督といえば、「ロスト・トランスレーション」で鮮烈なイメージを残した女流監督です。

女性の描き方には定評があり、この映画でも主演のケイリー・スピーニー(特にティーンズのとき)がとても可愛いのです。

 

 

もともとプリシラの自伝を脚本化したそうですが、暴露ネタのような悪趣味な部分はありません。

エルビスも大スターの割には「いい人」です。

プリシラも「いい人」でこの映画には完璧な悪人は登場しません。
ソフィア・コッポラ監督はプリシラから見たエルビスを淡々と描いていきます。
この監督にドラマチックとか、エモーショナルといった言葉は似合いません。
プリシラの孤独感もどこか突き放したような描き方になっています。
挿入されたエピソードから、プリシラやエルビスの心情や性格を観客に考えさせようとしている、とすら思えます。

 

 

自分はこの映画を観て、プリシラの孤独感よりも、エルビスの孤独感のほうが大きかったのではないか、と感じました。

言うまでもなくエルビスの才能は突出したものですが、その才能ゆえ、悩みも大きくなります。

人間はキングコング型とスーパーマン型に分かれる、と言ったのは村上龍です。

キングコング型は自分の才能に押しつぶされていくタイプ。

スーパーマン型は自分の才能を周囲にうまく調和さえていくタイプ。

エルビスはキングコング型です。

「自分」という存在を自分でも持て余しているような感じ。

ヒトやモノすべてにたいして独自の美学を持っていたのだと思います。

自分の妻に対しても、自分の美学の型にはめようとしました。

良くも悪くも妻を自分の「所有物」と考えていたに違いありません。

 

 

また、自分がこのような行動をとったら、相手はこう思うだろう、という思い込みが強くて、自分の行動に対して相手のリアクションが思い通りではなかった場合、非常に機嫌が悪くなったようです。

 

途中、エルビスが宗教にはまりそうになる場面が描かれます。

身近な者の不幸が目に入らない人が、世界幸福を口にしているケースって多くあるような気がしますが、エルビスもまさにそんな状態だったと思います。

プリシラはエルビスのことが本当に好きだったのですが、ふたり一緒にいてもお互いの孤独感を埋められない絶望感から、離婚を決断したのでしょう。

 

 

実際のプリシラ。きれいです。

 

ソフィア・コッポラ監督は、音楽の選曲も秀逸です。

 

一番最初に掛かる曲は「Baby I love you」。もともとはロネッツの曲ですが、ここではラモーンズのカバーバージョンが使用されています。

二曲目がフランキー・アヴァロンの「ヴィーナス」であることからも、ロネッツのオリジナル版を使用したほうが時代背景的にはぴったりなのですが、あえて、ロックンロールバンドのラモーンズ版をもってきたところに、いかにもソフィア・コッポラ監督らしいセンスのよさを感じます。

多くの挿入歌はノスタルジックな曲なのですが、時々はっとするような曲が入ります。

 

Dan Deacon「The Crystal cat

Spectrum「How You Satisfy Me

 

そして、最後はエルビスがカバーしたがったという ドリー・パートンの「I Allways Love You」。

こちらはホイットニー・ヒューストンのカバー版ではなく、オリジナル版が使用されています。

歌詞がプリシラの心境にぴったりマッチしています。

 

プリシラ予告編