思い付いて1000文字エッセイを書いてみることにします。
字数に制限があるので、ですます調ではありませんが、乱暴に書いているわけではありません。
何作か書いていきますが、連作の総タイトルは「固いステーキが食べたい」です。
第一回目「シニアのゆめ」をお届けします。
ご感想をお聞かせいただければ幸いです。
アラ還ともなると、「夢はなんですか?」と聞かれることが少なくなった。尋ねるほうも何かしら気がとがめるのだろう。
尋ねられたところで「もうこの齢になると、夢といってもねえ……」と返答する人が多いのも事実だ。
年齢的な部分も大きいが、たいていのことは知っているという思いやこれまでの実績が夢を軽視する態度につながるに違いない。
かくいう自分もある程度の年齢になったころから、物事を経験というメガネを通してみるようになっていることに気づいた。
年齢を経ると、それなりに食べたものや、行った土地、あるいは楽しい経験などが多くなる。
すると、叶えた夢の数が多くなる。叶えた夢が多くなると、次に叶えたいと思う夢の数が減っていく。
あるいは夢のハードルが上る。
学生のころは吉野家フルコース(大盛りの牛丼に味噌汁、お新香、卵を付けている人がブルジョアに見えた)が夢だったが、いまは試そうとすら思わない。
吉野家フルコースという夢は極端だとしても、かつては夢だったがいまはそう思えなくなったという事例は多い。経験した事柄が増えると、感動することが少なくなる。
感動がなくなると、心の感度が鈍る。
心の感度が鈍ると新しいことに挑戦する気力も落ちる。
夢という一語にも鈍感となる。
齢をとったら、高望みをせず、身の丈に合った生き方をしよう、という考えもある。
しかし、感動もせず、高望みもせず、ルーティンばかりの毎日では心の老化が早まる。
心の老化は肉体の老化を招く。
夢はなくともしょぼくれない、という生き方を送る自信が自分にはない。
やはりシニアも夢を持つべきだと思っている。
ただし、シニアの夢に対する注意点もある。
第一にシニアには体力面や寿命からみた時間的制約がある点。
第二にシニアにも金銭的な制約が伴う点。
若いころは大きな借金を負っても返済のチャンスはいくらでもあるが、シニアでは厳しい。シニアの夢は物質的な欲求とは距離を置いたほうがいいと思う。
「そういうお前の夢は何だ」だって?
やはり、書き続けることだ。死ぬ直前まで書いていたいし、昨日より今日、今日より明日と日を経るに従って少しでも上達していきたい。ちょっと、カッコつけすぎか?
付け加えるなら、東海道や中山道といった江戸時代から続く街道を全行程歩いてみたい。いや、自転車で走破でもよかろう。自転車は電動自転車でもいい。スーパーカブではどうだろう。
アレレ! なんか、どんどんハードルが下がっているような?