目先に役たつことを追いかけるのは文明であって文化ではない。東京には文明はあるが、文化が乏しいのはそのためだ。

これは何も都市だけの問題ではない。我々の人生にとっても同じことがいえる。さしあたって役にもたたぬことの集積が人生をつくるが、すぐに役たつことは生活しかつくらない。生活があって人生のない一生ほどわびしいものはない。

 

遠藤周作(小説家。自らキリスト教信者であり、日本を代表するキリスト教小説家として海外にも知られる。著書「沈黙」はマーティン・スコセッシ監督のメガホンの下、ハリウッド映画化された)

 

 

遠藤周作は自らを狐狸庵山人(こりあんさんじん)と名乗り、マスコミへの露出も多かった人物です。

そのせいか、単なる「陽気なおじさん」として捉えている人もいたようですが、小説は心に直接深く問いかける類のものでした。

また双極性障害(躁うつ病)だったと言われており、もしかするとマスコミへの出演は躁状態のときだったかもしれません。

狐狸庵山人という号からするとずんぐりとした人を想像してしまいますが、実際は長身瘦躯のスマートな人物でした。

 

キリスト教を主軸に据えた小説家のため、かつてはノーベル文学賞に一番近い日本の小説家と言われたこともありました。ノーベル文学賞はまだですが、著書「沈黙」はハリウッド映画にもなりました。

自分も遠藤小説は数多く読みましたが、その奥深さには感動したものでした。

もちろん足元にも及ばないのですが、ひとつだけわたしも遠藤氏に勝っているところがあります。

 

昔、坂口安吾氏の書斎の写真を見たことがあるが、紙屑と雑誌とが一面に散らかっていて、小説家の書斎はなんときたないのだろうと驚いた。

それが自分も小説家になってみると、仕事する部屋は足の踏みどころもないほと散らかってしまう。(中略)

年に何回かは、あまりのことに自分でも嫌になり、発作的に机の上や机の周りを整理しはじめる。しかし、ものの一週間もしないうちに机上はふたたび埋まり、元のモクアミになってしまうのだ。

 

部屋の汚さでは、遠藤氏よりわたしのほうが上だと思っています。

 

参考文献:年々歳々(遠藤周作)PHP

 

映画「沈黙}