「空母いぶき」という映画を観ました。
主演は西島秀俊さんと佐々木蔵之介さん。
架空の「東亜連邦」という国が日本の初島を占領し、戦争行為を仕掛けてくるという設定です。
この行為を空母いぶきを主艦とする自衛隊が防衛するというシナリオになっています。
専守防衛というのがキーワードになっていて、自衛隊員のじりじりとした緊迫感が伝わってきます。
限られた予算の中で作られたであろう戦闘シーンもなかなか迫力があります。
映画のレビューを見てみると、賛のほうが多いものの、賛否両論となっています。
その中で、個人的に思うことは、この映画は「娯楽映画」なのであるという点です。
リアリティさがあったとしても、それはあくまでも「リアリティっぱさ」です。
テレビの時代劇でバッタバッタ主人公が相手を切り斃しても、文句を言う人はいないと思います。
悪人がいきなり改心しても、「ああ、そうなのかなあ」と思う程度です。
乱暴な言い方になりますが、この手の映画も基本的にはテレビの時代劇と同じだと考えています。
これは決してこの映画をけなしているのではありません。
一種のメルヘンとして、「こうであればいいな」と思う気持ちは製作者と一緒です。
ただし、あくまでもメルヘンです。
戦争に真心は通用しません。
もし真心が通用するのであれば、中村哲医師は殺されることがありませんでした。
以前にこのブログでも書きましたがジェームス・フォーリー氏のような悲劇もなかったでしょう。
UNの力は「ルワンダの涙」や「ホテルルワンダ」を観ても分かるように、まったく無力です。
最後に、以前に感銘を受けた言葉があるので、書いておきます。
平和って、理想とかじゃないんです。平和は青年の若々しい理想だとぼくは思わない。暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ。そして、そんな思い上がった過信じゃなく、きたない取引や談合を繰り返すことで保たれるのが平和。この方がみんなにとって結局いい結論になるんだよ、年若い君にとっては納得できないだろうけれどもっていう、打算に満ちた老人の知恵みたいなものなんです。(正しい戦争は本当にあるのか 藤原帰一 ロッキン’オン)
近頃の軍人は、すぐ鉄砲を撃ちたがる、国の運命を賭ける戦というものは、そのようなものではない(ある明治人の記録 石光真人編著 中公新書)