先日、司馬史観について書かせていただいたのですが、わたしが司馬小説がすごいと思うところは実は別のところにあります。

それは、人物描写の確かさです。

いくつかの史実として残っているエピソードから、その人の性格や考えを類推する力がずば抜けていると思うのです。

たとえば、手元の「胡蝶の夢」によると、松本良順は長崎へ行ったときも「誰が上司になろうと構わない」と思ったとし、

 

この鈍感さが、良順に、自分が望ましいと信ずる社会像や国家像を育てなかったことにも通ずるであろう。

 

と記し、勝海舟に対しては、

 

勝の場合は違っている。強烈な自己への信頼と、そのせっかくの自己への信頼をつねに世間―あるいは幕府の上司―によって裏切られるという繰り返しの中で自己の思想を大きくしていった。(中略)

この不遇感から日本と幕府と世界を見た。その文明批判はそれによって成立し、かつ幕府の内臓のなかにいながら幕府を峻烈に他者として見るという能力を持ちえたのも、勝の精神を煮え立たせている不遇意識というものであったに違いない。

 

とと書いています。

その分析は評論家や歴史家の目から見たというよりも、小説家の目で見ていると思います。

歴史上、それほど知られた人でなく、あまり残った史実がない人物でも欠片のようなエピソードからその人となりを想像する力というのは、司馬遼太郎の右に出る小説家はいないと思っています。

 

長々と二回のブログになりましたが、この人物描写の確かさが司馬遼太郎の一番すごいところだと考えています。