何だか、珍しく連続投稿したくなりました。

 

前回の夢枕獏さんに続き、今回は人気作家だった渡辺淳一さんの本から抜粋してみます。

 

「人間の中に巣食っている人間的なもの、そのいわくいいがたい「非論理の論理」を書くのが小説で、それこそがまさに小説の王道だと思っています」

「創作の現場から」(渡辺淳一)以下同

 

いきなり、小説とは何ぞやという大局から渡辺淳一氏の考えを抜粋しました。

たとえば、うだつの上がらない中年男になぜか絶世の美女が恋をした、といえば、「非論理の論理」になります。

その美女の心理状態などを描いていくのがなんとも小説的なのです。

これはエンタメであれ、純文学であれ、同じだと思っています。

もし当たり前のことを当たり前に書くのであれば、小説としては成り立ちません。

戦争は悪い行為だ、人殺しはいけない、などといったことを真正面から描いて言っては、当たり前すぎるのです。

 

「小説家の場合、自分がいま何を生産しているのか不安になってくる。はたして、これが人々のためになっているのか、そんな疑問も湧いてきます」

 

渡辺氏のような実績を伴った方ならともかく、自分のような者が「人々のためになっているのか」などと思うのは僭越ですが、「誰か面白がってくれる人がいるのだろうか」などとはよく考えます。

文庫本だったら700円くらい、ハードカバーだったら1500円くらいの本の定価以上に価値があるのだろうか、と自問してしまうことはあります。

渡辺氏は続けて、

 

「ここで大事なのが「志」で、この喜びを表現するのは自分しかいない、だから書くんだという使命感がなければ行きづまってしまうような気がします」

 

と書いておられます。

確かにその通りだと思います。自信も何もなくなってしまったとき、自信に代わるものは「志」です。

逆に、志なき自信は鼻につくのではないでしょうか。

編集の方に聞くと、作家の中には恐ろしく強気な人もいます。

強気な態度は作家としての実績に必ずしも比例しません。

新人でも強気な人はいます。

この強気の素が志に基づいているのであれば、たいしたものだと思います。

 

「作家の場合、書く才能はもちろん大切ですが、同時に持続するスタミナと前へ向かう志が絶対に必要だと思います」

 

凡人には凡人しか、たどり着けない高みがある。