久しぶりに「書く」ことについて触れます。

 

アマチュアの方で、売れっ子の小説を読んで「これくらいなら俺にも書ける」とおっしゃる方がいらっしゃいます。

これは本当かもしれません。

売れっ子作家は70%、超売れっ子なら60%の出来の作品でも出版され、それなりの部数を売り上げるからです。

売れっ子作家は、締め切りを持って書いている場合がほとんどで、それは早指し将棋を指しているようなものです。

一方、アマチュアには締め切りがないから、いくらでも推敲できる。

相手が早指し、こちらがじっくり考えていい将棋であれば、かなり腕の差があっても勝てそうです。

 

締め切りが決まっている場合は、もう少し書き直したいと思っても脱稿せざるを得ません。

そんなときでも、手を抜かない、というのは非常に大事なポイントだと思っています。

当たり前だ、と思われるかもしれませんが、実際に気を付けていろいろ本を読んでみると、中には「あ、ここは手抜きじゃなかな」という点が見られる作品もあります。

 

最初に謎を作ったけれども、書き進めていくうちに、その謎解きが理屈に符合しないんじゃないかな、とか、犯人が判明するきっかけとなる出来事に行き詰まってしまうことがあります。

そんなとき、「偶然」という現象を使ってしまうのが手抜きの一例です。

でも、締め切りの中でもがいてもがいて、それでもどうしようもなくて使ってしまった「偶然」と安易に使用された「偶然」は違います。

「手を抜かない」というのはもがいたかどうか、ということにつながってきます。

 

もうひとつ、下調べという作業について書きます。

 

くじけそうになったときに最後に自分を支えるのは、ぼくの場合、「ここまでやった」という小さな積み重ねです。自分はここまで調べたんだ、ここまで考えたという、細部の積み重ねが自分を支えてくれる。だれがチェックするわけでもないところまでも調べるのは、読者のために少しでも面白いものを書きたいという気持ちもあるのだけれど、同時に、自分のためなのです。「秘伝 書く技術」(夢枕獏)集英社

 

まったく同感です。必ず現地に取材に行くだとか、書いている分野については、専門家になれるくらい資料読みする(書き終わると忘れてしまうのですが)、などといった作業を行うのは自信へと繋がります。

 

あと、夢枕氏はこんなことも書いておられます。

 

小説もひとつのファンタジーです。それを支えるのはリアルななにか――教養でありストーリーであり文体であるというのがぼくの考えです。歴史小説において、できるだけ史実を踏まえようとする姿勢や、あるいは理屈を通そうと考える癖などは、「ファンタジーを支えるのはリアルな肉体」という信念からきているものです。(同書)

 

この文には前段があって、「プロレスはリアルな肉体があって初めて成り立つファンタジーである」という氏のプロレス観を受けています。

つまり、プロレスであっても、小説であっても、しっかりとした基礎がないと、薄っぺらな作りごとになってしまうということです。

基礎を伴わない小説には都合主義が満ち溢れていると言ってもいいのかもしれません。

 

処女作で驚くような文才を発揮する小説家もいます。

しかし、自分を含め凡庸の徒は努力するのみです。

努力を怠らず、常に手を抜かない、という姿勢がステップアップした明日の自分に繋がると信じています。