木村花さんの追悼興行が検討されています。

この興行を知った人が、今回の件をいま一度考えるきっかけになったらいい、と切に願っています。

 

私は、母親の木村響子さんのプロレスをよく見ていたし、同じ年ごろの娘を持っているので、親目線から強いショックを受けています。

まだ頭の中を整理できていないのですが、SNSに対する一考察を書いてみました。

読んでいただければ幸いです。

 

SNS上で、共通の話題についてワイワイ意見を言い合うのは楽しいものですが、意図せずその場独自の判断基準や倫理観というものができあがることがあります。

あるいは、オピニオンリーダーが現れたり、話題の基調となるような意見が現れることもあります。そういった環境下では、場の基調に逆らうことは容易ではなく、反対の意見を発すると敵対視されることもあると思います。

同調するほうが、遥かに楽なわけです。

 

しばしば、人の悪口、誹謗中傷の類も話題となります。

「人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、自分より金持ちだとか、成功している人の失敗をあげつらうのは一種のうっぷん晴らしです。憧れに近いような人を貶めることで、自分との距離を縮めようとする心理があるかもしれません。

 

それでも、お互いにどこの誰だか分かっている者同士が実際に話している場合には、いくらかであっても、言葉に遠慮があるのではないでしょうか。

SNSのように開かれた空間のようでいて、密室の雰囲気を併せ持った場では、残っていた遠慮もすべてなくなってしまいがちです。

日本人は集団となると、個人が持っている善悪の基準を超えて、集団の判断に引っ張られてしまうところがあるように思います。誹謗中傷も多くの人が口にしているのであれば、正論だと勘違いしやすくなるのではないでしょうか。

 

 

話は代わりますが、昔、「テレビジョッキー」という番組があって、奇人・変人というコーナーがありました。

そのコーナーでは「ゲテモノ喰い」をする人がたまに登場していました。気持ち悪い話ですが、生きたゴキブリを食べる人もいたように記憶しています。

この「ゲテモノ喰い」には、「ゴギブリを食べた人の胃の中で卵が孵化して、食べた人が死んでしまった」という都市伝説ができたほど衝撃的なものでした。しかし、「ゲテモノ喰い」は特に優れた能力がなくても、覚悟さえあれば誰でもできる「芸」でした。

 

SNS上で著名人等へ誹謗中傷を行うというのは、この「ゲテモノ喰い」と同じようなものなのじゃないか、と私は思います。いや、覚悟なんていらないから、もっともっとハードルは低いでしょう。

自分の意見を言っても人の目を惹けないから、誰かを誹謗中傷して注目を集めてやろうという感じです。

でも、生きているゴキブリを食べて健康にいいわけがありません。ゲテモノを食べるにはリスクが伴います。飲み込んだものは、いつかは自分に結果をもたらします。

「死ね」だとか「消えろ」だとかいう言葉は、ただの言葉ではなく、もはや暴力と同じとなります。 天に向かって吐いた唾は、自分に戻ってきます。自分が行った他人への誹謗中傷は必ず自分に返ってきます。匿名での誹謗中傷は卑怯で他人を傷つけるだけでなく、本人の心の奥深いところへも攻撃を与えます。ぜったい行うべきではないし、非難されてしかるべき行動です。

 

そこでひとつの提案があります。

個人のパーソナリティを攻撃するよりも、もっと大きな政治に目を向けてはどうでしょうか。

芸能人やアスリートは私たちの代表ではありませんが、政治家は我々が選んだ私たちの代表です。政治家といえども個人への誹謗中傷は行うべきではありませんが、政治家の正しくない行動に対する批判は断固として行うべきです。それが世の中を動かしていくということになります。

 

個人ではなく、行動に。

根拠なき誹謗中傷ではなく、根拠ある批判を。

 

SNSにおける言動制限を法案化する前に、私たちひとりひとりが考えなければならないことではないかと思います。