大森洋平さんの「考証要集」はとても面白い本です。

辞書のように語句をあいうえお順に列記して、考証的に正しいかどうかを示しています。

折りがあれば、目を通しているのですが、

「二君」

についての記述は見落としていました。

「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫にまみえず」で知られている「二君」です。

当たり前のように「にくん」と読んでいたのですが、「考証要集」にはこう書かれています。

 

二君【じくん】ふたりの主人。「じくん」と故事読みをする。「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫にまみえず」。「二郎」が「にろう」でないのと同じ。

 

ええ!

PHP社の「歴史街道」で藤堂高虎について書いたときも「にくん」と思って書いていたし、もしかしたら、小説家としてこれはとても恥ずかしいこのなのかも、と思い、調べてみました。

 

デジタル大辞泉

二君【にくん】ふたりの君主。じくん。

二君【じくん】ふたりの君主。にくん。

 

どうやら、どちらでもいいようです。

さらに詳細な意味を見ると、じくんのほうは、二番目のという意味を強調するために使用されるとのこと。

 

また、デジタル大辞泉にも「じくん」の項目には、

 

「サレバ忠臣――ニツカエズ」

 

という平家物語の一文を引いているところからも分かるように、古くはジクンと読ませたようです。

現在では、ニクンが普通であり、間違いではない、との解釈です。

ほっと胸をなでおろしました。

 

藤堂高虎

 

 

 

 

 

 

 

 

登場人物

ギギ:30代女性、俳優の卵だが、小説家になる野望を抱いている。

田中昭三:60代。ギギの父親でプロの小説家。

 

GIGI:マイケル・ジャクソンの半生を描いた「マイケル」を観てきたわ。

昭三:世界中でヒットしているらしいな。客の入りはどうだった?

GIGI:平日の夜だったこともあり、満員ではなかったわ。

昭三:俺が観たのも平日の夜だったから、それほど混んではいなかったな。それにしても、ライブの迫力は満点だった。青春が蘇ってきたような気がした。

GIGI:わたしにとっては、聞いたことはある曲と言うだけで思い入れはないけど、確かに映像や音響はすごかったわね。でも批評家の評判はよくないようね。

昭三:海外の批評家はけなすことが仕事だと思っているやつも多いから、仕方ないだろう。そもそもこの手の映画に過大な期待はしないことだ。「ボヘミアン・ラプソディ」にしろ「ロケットマン」にしろ、ストーリーじたいはたいしたものではない。

GIGI:でもマイケルのライバルと称されたプリンスの「パープルレイン」は見事な出来だったと思うわ。

昭三:コンセプトが違うだろう。

GIGI:でもこの「マイケル」も独裁者である父親のジョセフ・ジャクソンをマイケルが乗り越えていくというメインストーリーのうえに物語が進んでいくところは、一種の青春映画と言えるんじゃない?

昭三:だとしたら、あの結末はどう思ったんだ?

GIGI:正直「あれ、これで終わり?」という感じだったわ。

昭三:そうだろう。小説でいったら「起承」の部分で終わっていて「転結」が欠如している。

GIGI:エンドタイトルで「マイケルの物語は続く」とあったから続編をつくるつもりなのかな?

昭三:続編の話はあるようだ。それに実はこの後に続く章があったのだが、法的な権利の問題で全削除になった。

GIGI:なるほどね。だからプツリと終わった感があったのね。第三章はどんな内容だったの?

昭三:児童に対する性被害の訴訟を描いていたようだ。

GIGI:なんか前半とトーンが変わりすぎじゃない?

昭三:実際に観ていないから、なんとも言えないが、マイケルのグレーエリアの開明には興味がある。

GIGI:それこそ、コンセプトが違ってくる気がするわ。

昭三:俺もそう思う。「マイケル」ではジョセフが悪役だが、そのジョセフにしても極悪人ではないし、その他には悪人らしい人物が登場しない。もしドロドロした法廷劇を描こうとしたら悪人も登場させなくてはならないだろうし、削除したのは結果的によかったんだとも思える。

GIGI:そうね。批評家の中にはマイケルやスタッフを美化しすぎだと言う人もいるけど、この映画の観客が求めるのはヒューマンな人間ドラマではなく、エンタメでしょう。

昭三:その通りだ。

GIGI:わたしが印象に残ったのは成功したあとのマイケルの部屋のシーン。あんな豪邸なのに、マイケルの部屋はあまりにも小さかったのに驚いたわ。本当だったのかな?

昭三:ジョセフだったらやりかねない。俺が印象に残ったのは、プールにフローティングチェアを浮かべながら、マイケルが瞑想しているシーンだ。

GIGI:何をやっているのか聞かれて、「天と交流している」とか言っていた場面ね。

昭三:ああ。アイデアが天から降ってくると言っていたな。タイミングを逃すと、天はエンゼルにアイデアを上げてしまうからいつも注意していなければならない、とも言っていた。あれはいいシーンだった。

GIGI:シャチョーはエンゼルにアイデアをとられてしまっているほうね。

昭三:うるさい! 俺はだな―――(以下フェイドアウト)

 

お勧め度 GIGI   ★★★☆ 70点

     昭三 ★★★★   80点

 

「マイケル」公式HP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関ケ原の戦いで、先陣に位置していた福島隊をうまくごまかして出し抜き、先陣を切ったのは、井伊直政が率いる井伊隊です。

その井伊隊は「井伊の赤備え」として有名でした。

もともと赤備えは、馬場信春、内藤昌豊、高坂昌信と並んで武田四天王と呼ばれた山形昌景の山形隊の代名詞でしたが、井伊直政は復活させたのです。

 

鎧の色などを統一することは、全軍の動きを掌握しやすくなるという利点がありましたし、強い軍隊であれば、相手を威圧する意味もあったでしょう。

 

ですが、実はこの赤揃えは、星占いによって決まったのです。

 

この星占いは正確にいうと、陰陽道の五行説という難しい名前になりますが、要するに生年月日により人を5パターンに分類して、それぞれにラッキーカラーや恵方などを定めました。西洋占星術でいう四つのエレメンツのようなものです。

 

戦国武将も占いやジンクスを気にしました。

赤揃えも占いから決まったというのは驚きですが、事実です。

 

山形昌景

江戸時代も今と同じで温泉は人気がありました。

気楽に旅行できる時代ではなかっただけに、多くの庶民は憧れに近い目で遠隔地の温泉を見ていたのでしょう。


江戸時代には見立番付といって、人気ランキングを相撲の番付に見立てて順位を付けることが流行りました。

温泉番付も発行されていて、どんな温泉が人気があったのか分かります。

番付では行司役と勧進元、差支配人は別格人気で、以下は大関、関脇、小結、前頭の順となります。

 

諸国温泉功能鑑」によると、行司役には「紀州 龍神の湯」「伊豆 熱海の湯」「上州 さわたりノ湯」(沢渡温泉)「津軽 大鰐の湯」が並び、勧進元は「紀州熊野 本宮の湯」、差配人(副主催者)として「同所 新宮の湯」とある。今の那智勝浦温泉である。
 

東の大関は「瘡{そう}どく三病諸病ニよし 上州草津温泉」。瘡毒とは梅毒、三病とはハンセン病、てんかん、うつ病であるから万病に効くということである。
草津温泉は初夏から晩秋までの半年だけ営業し、寒い期間は旅館も閉鎖した。山中とはいえ、新鮮な川魚のあらいが食べられ、一流の芸人の芸が観られた。


関脇は「諸病ニよし 野州那須湯」。余談ではあるが、個人的に好きな湯である。
小結は「眼病ひつひぜんニよし 信州諏訪湯」。ひつとは、江戸訛りで「しつ」のこと。湿瘡である。ひぜんとは皮癬で、いずれも皮膚病である。


前頭筆頭「切り傷 打ち身ニよし 豆州湯河原」、前頭二枚目「しつひぜんによし 相州 足の湯」(箱根・芦ノ湯温泉)、三枚目「瘡毒諸病によし 陸奥嶽の湯」。


西を見ると、大関として「諸病ニよし 名泉あり 摂州有馬湯」。
関脇「万病ニよし 但馬城ノ崎湯」(兵庫県)。
小結「諸病ニよし 豫州 道後温泉」(愛媛県松山市)、前頭筆頭は「加州山中湯」(石川県)、二枚目に「しつひぜんニよし 肥後阿蘇湯」、三枚目には「諸病ニよし 肥後温泉湯」(長崎県・雲仙温泉)と続く。


皮膚病はともかくも、梅毒などに効くと宣伝しているのをみると、江戸時代はよほど梅毒患者が多かったのだろうか。
それはさておき、江戸時代の庶民はこのような番付を見ながら、まだ見ぬ温泉に思いを馳せたに違いない。

 

(この記事は1012.5.28「大江戸百花繚乱」を修正・加筆して再掲載したものです)

太平洋戦争では、奇襲作戦が多用されたと言います。

 

軍備でも、人数でもはるかに劣っていた日本軍は奇襲作戦に頼らざるを得なかったのです。

いざとなれば、神風が吹いて、不利な戦況を逆転できるという皇国史観もありました。

 

昨今の研究では奇襲作戦ではなかったという説もありますが、織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いが奇襲戦法としてはもっとも有名でしょう。

そのほかにも毛利元就が陶晴賢(すえはるかた)を破った「厳島の戦い」、北条氏康が足利晴氏と上杉憲政の連合軍を破った「河越夜戦」がよく知られています。

これらの合戦のせいで、旧日本軍の中に事実以上に奇襲戦法を有効とする傾向が生まれたと言います。

 

「『合戦』の日本史」の中で本郷和人氏は、

 

最新装備も食糧も人員もないなかで、最後は精神論のみで戦わされることになったのも、こうした幻想がまことしやかに語られていたからではないかと思います。皇国史観を信奉する歴史学と軍部が強く結びついたことで、このような幻想が生まれたのです。

 

と書いています。


奇襲戦法については、

 

命令系統がちゃんとしていて、的確な指示を受けて戦うことができれば、かなりの兵力差を簡単にひっくり返すことができるのです。

 

としながらも、

 

奇襲戦というものは、いつでも使えるものではありません。稀なものだから意味を持ちます。だからこそ、織田信長は桶狭間の戦い以降、奇襲戦に打ってでることはありませんでした。

 

あくまでも合戦の大原則は「戦いは数である」。この前提があってこそ、奇襲は成り立つのです。

 

と明言しています。

 

合戦について詳しい記述は兄弟ブログ「大江戸百花繚乱partⅢ」に記載しています。

興味がある方は、ぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

登場人物

ギギ:30代女性、俳優の卵だが、小説家になる野望を抱いている。

田中昭三:60代。ギギの父親でプロの小説家。

 

ギギ:ちょっとした昭和ブームが起きているような気がするわ。

昭三:ああ。俺は年号がふたつ前になったとき、その時代のブームが来ると思っている。たとえば、昭和には明治ブームが起きた。

今度は平成を経て令和になったので、昭和がブームになる。

ギギ:でも平成のとき、大正ブームは起きなかったわ。

昭三:大正時代は短かったからな。平成も比較的短かったから、ブームは起こらないかもしれない。

ギギ:納得できるような、納得できないような話ね。とことで今日取り上げる「FUJIKO」は見事に昭和テイストを描き切った作品だったわね。

 

 

昭三:昭和を舞台にした映画だと小道具やバックに流れる流行歌などを多出し、時代を描いているような気になっている映画が多いが「FUJIKO」はそういったものに頼ることなく、昭和の匂いを醸し出すことに成功している。

ギギ:シャチョーは「匂い」が好きね。そんなに「匂い」が大事なの?

昭三:もちろんだ。いい小説やいい映画は必ず匂いが伴う。

ギギ:長くなりそうだから「匂い」の話はもういいわ。わたしには登場人物がステレオに思えてしまったけど、シャチョーはそう思わなかった?

昭三:まあステレオタイプっぽい人物はいたが、あれはあの時代の典型的モデルとしてデフォルメしたんだろう。俺としては許容範囲だ。役柄のせいなのか、役者の演技が下手っぽく見えてしまったのは気の毒だったがな。

ギギ:誰のことを言っているのかおおよそ見当つくけど、あれは単に演技が下手なんじゃないかな。ストーリー展開としてはどうなの?

昭三:映画ならではの展開だな。活字にしたら小説というよりはエッセイになるだろう。シングルマザーが生活に困りながらもその都度、誰かに助けられ、自立していうという一種のサクセスストーリーだが、内容はいくつかのエピソードが集まってストーリーを構成しているに過ぎない。エピソードの中で登場する人物が魅力的だ。

 

 

ギギ:たしかにかなり豪華なキャストね。ミュージックビデオのように、その豪華なキャストたちが自分たちの持ち時間の中で、魅力的な歌を歌っていたところがこの映画のいいところかもしれない。

昭三:なかなかいいことを言うじゃないか。イッセー尾形やリリーフランキー、うじきつよしなんかはよかったなあ。

ギギ:イッセーさんやリリーさんはともかく、うじきさんの使い方はあまりといえば、あまりじゃない。

昭三:重要だが、ほんの端役みたいなもんだもんなあ。せめてうじきの楽曲を使えばよかったと思ったんだが、子供ばんどはこの映画のテイストには合わないから、仕方なかったのかもしれない。

ギギ:キャストについて言うと、主演の片山友希さんの演技は見事だったわね。

昭三:同感だ。「ラプソディ ラプソディ」の呉城久美と同様にいま最も期待する女優だ。

ギギ:シャチョーに期待されてもどうってことないんだけど。映画の話に戻るけど、これはハッピーエンドなんだろうな。

昭三:ああ、最後に富士山の画像が流れるが、あれは爽快感があった。

ギギ:そうね。最近の日本映画は大円団ではないけれど、ほのぼのとした終わり方が多くなっているわね。

昭三:主人公の決断には疑問を持つ人もいるだろうが、自立した女性を描くという観点からすると、あの結末しかないような気がするな。俺はよかったと思う。

 

お勧め度

ギギ:★★★(60点)

昭三:★★★⭐︎(70点)

 

 

 

FUJIKO 公式サイト

 

 

 


 

 

思い付くままに想い出の中の美女について書いてみたいと思います。

 

わたしが中学生のころは年末年始となるとテレビの深夜放送で西部劇がじょっちゅう放映されていました。

しかも、ちょっとB級っぽい西部劇が多かったように記憶しています。

その頃はDVDはおろか、ビデオテープも普及していなかった時代です。

人気のある西部劇は水曜ロードショーや金曜ロードショーなどのゴールデンタイムで放映されていたので、ちょっと人気の落ちる映画が深夜に放映されたのです。

そんな中、ジェームス・スチュアート主演の「折れた矢」(1950年・アメリカ)は何回も深夜に放映されました。

その映画でヒロインのソンシアレイを演じたのがデブラ・バジェットです。

デブラは1933年生まれですから、映画出演当時16歳か17歳。

インディアンの娘役なので、髪は黒くして、蒼い目にはカラーコンタクトを入れ、顔は黒く塗っていました。

なんとも素朴かつ健康的な姿が可憐でした。

この映画は従来の白人=善人、インディアン=悪人という図式を排したヒューマンな作品なのですが、その中で薄幸のヒロイン役という重要な役柄を見事に演じていました。

 

デブラは、後にエルビス・プレスリーやジョン・ハワードと噂になりますが、結ばれることはありませんでした。

その後、三回の結婚と離婚を繰り返しました。

映画界のほうは、1956年の「十戒」、同年エルビスと共演した「やさしく愛して」をピークにして、その後は徐々にテレビ界へと移っていきますが、さらに時代が下るとB級ホラー映画などにも出演するようになり、フェイドアウトしていったようです。

 

現在も健在でテキサスに住んでいると言います。

 

いま見ると南沙織には似ていませんが、ソンシアレイという役名がシンシアを想像させたせいか、個人的には南沙織とデブラのイメージがだぶってしまったのをよく覚えています。

 

折れた矢 youtiube映像

 

 

 

 

 

原稿を一度も書いたことがない方は、そもそも原稿の書き方が最初から分からないと思います。

当然だと思います。

あまり初歩的なことを書いてある本などは少ないので、書き方の初歩の初歩を順不動に書いてみたいと思います。

けっこう、間違えている人は多く、間違えると途端に素人っぽく見えるので、案外、重要です。

 

① 文の先頭は一字分空ける。カッコ類(「」『』〈〉など)が入る場合は一時空けなくてよい。

② 会話文の「」の後には読点(。)を入れない。

③ ルビの振り方は木村忠啓(きむらちゅうけい)などと書かず、木村(きむら)(ちゅう)けい)とする。

④ … は三点リーダーと言い、「さんてん」もしくは「・・・」と打つと変換できる。

  多くは三点リーダーをふたつ重ね、…… のようにする。

⑤ ――― は、ダッシュといい、「ダッシュ」で変換できる。普通は三つ重ねて使用する。

  ……と―――の使い分けは明確なルールがあるわけではない。

  あまりにひんぱんに使うとうざったくなるので、多用を避ける。

⑥ 意味もなく行を変えない。

  一行空けや二行空けが癖になっている人がいるので注意!

⑦ 400字詰原稿用紙20枚というのは、400×20=8000字ということではない。

  ワードであったら、行数と文字数を20文字×20行に設定し、何枚になっているかを確認する。

⑧ 公募でよくある「原稿の左上を綴じたうえ」とあるのは、パンチで穴を開けて紐で綴じるということだけではなく、大型のク 

  リップで留めても可。クリップで留められないような長編のみ紐綴じが求められる。

  もっと大事なのは、原稿にページナンバーを振ること。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

幕末に横井小楠という人物がいました。

こう言うと、

「なにした人?」

と聞かれることが多いのですが、ちょっと困ります。

坂本龍馬や勝海舟ならいざしらず、

「これこれのことをやった」

という実績がない人物が幕末には多いのです。

ですが、実績がないからと言ってたいしたことがなかったか、というとまったく違います。

雄藩には優秀な人物が多く、幕府や親藩には人材がいなかったような話をする人がいるようですが、そんなことはありません。

たとえば、和親条約が各国と結ばれる安政まで、オピニオンリーダーだったのは御三家水戸藩の後期水戸学です。

 

横井小楠は一言で言ってしまうと福井藩主・松平春嶽のブレインということになります。

当時、もっとも優れた国際的センスの持ち主のひとりだったと言えます。

 

具体的には、小楠はどんなことを考えていたのでしょう?

源円了の「実学思想の系譜」「徳川思想小史」に詳しい記載があります。

けっこう難しいのではしょって書くと、小楠は「富国」により国家の独立を保とうと考えたと言います。

さらに身分制の否定、議会制の肯定、血統による世襲政治の否定した点などは、アメリカの共和制と通じる部分があります。

国際的には武力の必要性を認めながらも、国家の平和的共存を理想とし、積極的貿易論を展開しました。

商社の結成を呼び掛けるなど近代的な考えの萌芽を持っていた人物でした。

 

ただ酒に飲まれる性質だったらしく、酒席での失敗は多かったようです。

頭はいいけれど、なんとも人間味のある人物でした。

小楠の思想について、もっと詳しく知りたい方は、兄弟ブログ 大江戸百花繚乱PARTⅢ をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前々回から試みている対談方式を小説の書き方についても適用してみようと思います。

どうか、お付き合いのほどを。

 

登場人物

ギギ:30代女性、俳優の卵だが、小説家になる野望を抱いている。

田中昭三:60代。ギギの父親でプロの小説家。

 

ギギ:ところで、小説を書くに当たっていいテキストはないかな?

昭三:小説にハウツーは当てはまらない。ハウツー本を読んで書けるような技術ほとんどがAIに取って代わられるだろう。まずは、名作と呼ばれる小説を数多く乱読することだ。

ギギ:そういうことを言う小説家って多い気がするな。でもシャチョーの本棚にはずいぶん小説の書き方みたいな本が多いように思うけど。

昭三:俺は添削も行っているからその時の参考にしているんだ。

ギギ:そうかなあ。添削を始める前からあったじゃない。技術論を隠そうとしているんじゃない?

昭三:そこまで言うなら、一冊選んでやろう。「海燕」や「野生時代」の編集長だった根本昌夫さんが書いた「実践 小説教室」(河出書房新社)という本だ。

ギギ:なんともダイレクトなタイトルね。

昭三:この手の本はあまり凝らないのが鉄則になっているようだ。

ギギ:どんなところがすぐれているのかしら?

昭三:おい、そんなことまで聞くのか。まあ、紹介ついでに話してやる。この本の優れているのは、単なるハウツーではなく、根本さんの経験に根差した深い小説哲学というものが分かりやすく書かれている点だ。たとえば、小説についてはこう書かれている。

小説を書くとは、心の中で感じたり、思ったり、考えたり、思い出したりしたことの中から、大切なものを、表現することなのです。

純文学に限らず、エンタメ小説でも「自分の大切なもの」というものを小説の中に内包させていなければならないんだ。

ギギ:ふーん。どの小説家もそんなことを考えているとは思えないけどな。小説家に向いている人というのはいるのかな?

昭三:ああ。根本さんはこう書いている。

小説家というのは、社会への適応能力がありながら、その実きわめて感受性が強く、内面に葛藤を抱えながらも社会生活に努めて適応している人たちだということを言ってきました。読者の共感を呼ぶ作品が書けるのも、その葛藤ゆえなのでしょう。

つまり、努力せずとも社会に適応できている人たちはおそらく小説を書く必要を感じてもいないでしょう。

また、社会に適応できない自分が正しく、社会のほうが間違っている思っているような人も、小説家にはあまり向いていないように思います。

ギギ:確かにシャチョーを見ていると、根本さんの話が当てはまるわね。具体的な話はどう?

昭三:面白いなと思ったのは、まずプロットについての考えだ。

「起承転結」や「破序急」は、書き進めるための一つのエンジンにはなりますが、それにしばられると窮屈なものになったしまうのです。

 

設計図は一応考えるものの、その通りに書けた作品は案外つまらないものになる。

ギギ:設計図というのがプロットのことね。起承転結もあまり考えなくていいのかな。

昭三:いや、まだ小説を書き慣れないうちは起承転結は常に考えたほうがいい。あくまでも「しばられない」ほうがいいのであって、考えなくていいということじゃない。キャラクターについての話も興味深い。

自分が作った登場人物は最後まで面倒をみて、小説を書き終えてからも『今ごろ何をしているんだろう』と考えるくらい、大切にする。

ギギ:登場人物を将棋の駒のように作家の勝手でうごかしてはいけない、というのは聞いたことがあるわ。もう一つだけいい部分を引用してよ。

昭三:分かった。書き出しの部分についてだ。

意識したほうがいいのは、読者を日常から脱出させる書き出しになっているかどうかということです。

アマチュアの小説は驚くほど、ダラダラとした書き出しが多いからこれはとても大事な指摘だと思う。

ギギ:確かに読みたくなってきたわ。その本を貸してちょうだい。

昭三:本というのは自腹を切って買ってこそ、中身が身につくんだ。自分の金で買え。

ギギ:ケチ! 

昭三:ここまで懇切丁寧に教えてやったのにケチとは何だ! いいか本を買うにしても中古で買うんじゃないぞ。それは著者に対して失礼だからな。だいいち―――(以下フェイドアウト)