前々回から試みている対談方式を小説の書き方についても適用してみようと思います。
どうか、お付き合いのほどを。
登場人物
ギギ:30代女性、俳優の卵だが、小説家になる野望を抱いている。
田中昭三:60代。ギギの父親でプロの小説家。
ギギ:ところで、小説を書くに当たっていいテキストはないかな?
昭三:小説にハウツーは当てはまらない。ハウツー本を読んで書けるような技術ほとんどがAIに取って代わられるだろう。まずは、名作と呼ばれる小説を数多く乱読することだ。
ギギ:そういうことを言う小説家って多い気がするな。でもシャチョーの本棚にはずいぶん小説の書き方みたいな本が多いように思うけど。
昭三:俺は添削も行っているからその時の参考にしているんだ。
ギギ:そうかなあ。添削を始める前からあったじゃない。技術論を隠そうとしているんじゃない?
昭三:そこまで言うなら、一冊選んでやろう。「海燕」や「野生時代」の編集長だった根本昌夫さんが書いた「実践 小説教室」(河出書房新社)という本だ。
ギギ:なんともダイレクトなタイトルね。
昭三:この手の本はあまり凝らないのが鉄則になっているようだ。
ギギ:どんなところがすぐれているのかしら?
昭三:おい、そんなことまで聞くのか。まあ、紹介ついでに話してやる。この本の優れているのは、単なるハウツーではなく、根本さんの経験に根差した深い小説哲学というものが分かりやすく書かれている点だ。たとえば、小説についてはこう書かれている。
小説を書くとは、心の中で感じたり、思ったり、考えたり、思い出したりしたことの中から、大切なものを、表現することなのです。
純文学に限らず、エンタメ小説でも「自分の大切なもの」というものを小説の中に内包させていなければならないんだ。
ギギ:ふーん。どの小説家もそんなことを考えているとは思えないけどな。小説家に向いている人というのはいるのかな?
昭三:ああ。根本さんはこう書いている。
小説家というのは、社会への適応能力がありながら、その実きわめて感受性が強く、内面に葛藤を抱えながらも社会生活に努めて適応している人たちだということを言ってきました。読者の共感を呼ぶ作品が書けるのも、その葛藤ゆえなのでしょう。
つまり、努力せずとも社会に適応できている人たちはおそらく小説を書く必要を感じてもいないでしょう。
また、社会に適応できない自分が正しく、社会のほうが間違っている思っているような人も、小説家にはあまり向いていないように思います。
ギギ:確かにシャチョーを見ていると、根本さんの話が当てはまるわね。具体的な話はどう?
昭三:面白いなと思ったのは、まずプロットについての考えだ。
「起承転結」や「破序急」は、書き進めるための一つのエンジンにはなりますが、それにしばられると窮屈なものになったしまうのです。
設計図は一応考えるものの、その通りに書けた作品は案外つまらないものになる。
ギギ:設計図というのがプロットのことね。起承転結もあまり考えなくていいのかな。
昭三:いや、まだ小説を書き慣れないうちは起承転結は常に考えたほうがいい。あくまでも「しばられない」ほうがいいのであって、考えなくていいということじゃない。キャラクターについての話も興味深い。
自分が作った登場人物は最後まで面倒をみて、小説を書き終えてからも『今ごろ何をしているんだろう』と考えるくらい、大切にする。
ギギ:登場人物を将棋の駒のように作家の勝手でうごかしてはいけない、というのは聞いたことがあるわ。もう一つだけいい部分を引用してよ。
昭三:分かった。書き出しの部分についてだ。
意識したほうがいいのは、読者を日常から脱出させる書き出しになっているかどうかということです。
アマチュアの小説は驚くほど、ダラダラとした書き出しが多いからこれはとても大事な指摘だと思う。
ギギ:確かに読みたくなってきたわ。その本を貸してちょうだい。
昭三:本というのは自腹を切って買ってこそ、中身が身につくんだ。自分の金で買え。
ギギ:ケチ!
昭三:ここまで懇切丁寧に教えてやったのにケチとは何だ! いいか本を買うにしても中古で買うんじゃないぞ。それは著者に対して失礼だからな。だいいち―――(以下フェイドアウト)


























