ひそかに名古屋は大盛ランチのメッカです。

老舗有名店だった「ダッカ」はもうないものの、新栄にある「吉野家」はいまも元気に営業中です。

うどん、そば、きしめんとあるものの、おススメはうどん。

いくぶん細いうどんは腰があって、ツルツル。

ガンガン食べられます。

面白いのは、大盛のネーミング。

1、2盛、中盛、大盛となります。

量の増え方も凄まじいものがあります。

 

1.2盛 麺1kg

中盛   麺10玉

大盛   麺20玉

 

です。

大盛となると、フードファイターでないと食べられない量です。

中盛も大変ですが、知り合いは完食していましたので、超大食漢であれば、不可能ではないと思います。

 

先日は3人で行って、それぞれ1.2盛を頼みました。

 

鳥なんばんうどん。

 

煮こみうどん。

 

みそ坦々煮込みうどん。

 

この手の料理はなかなか写真では迫力が伝わらないのですが、吉野家のうどんは写真でも十分に迫力が伝わるのではないでしょうか。

 

三人ともかなり食べるほうだったので、三人とも完食、と言いたいところなのですが、一人脱落。

この坦々うどんはちゃんとメニューに激辛と書いてあったのですが、たいしたことないだろうと思って頼んでしまったら、本当に激辛だったのです。

頼んだ人間は量よりも辛さでやられてしまいました。

思わないところに伏兵がいました。

 

以前、頼んだ中盛の写真がありました。

 

肉うどん。

 

やまかけうどん。

 

いやあ、写真だけ見てもすごい!

これを食べきる胃袋というのは、どんなに大きいのだろうか、と思います。

ちなみに、肉うどんは一番人気で、売り切れてしまうことが多いようです。

 

最近は面白半分にこの中盛や大盛を頼む人が多くなってきたのか、以前にはなかった罰金が制定されていました。

中盛を残すと5000円、大盛を残すと10000円という結構、高額な設定です。

作る側としては、面白半分に頼まれて、大半を残されてしまうのでは、やってられないという思いもあるのでしょう。

 

大食漢の方はぜひおススメしたい名店です。

なお、駐車場はないので近くのコインパークに止めてください。

 

吉野屋

愛知県名古屋市中区新栄1-6-3

月曜  11:00~14:30 

火~金 11:00~15:00 16:00~21:00

土曜  11:00~14:00

日・祝 休み

先日、大学時代の仲間と岐阜県中津川市にある苗木城址に行きました。

 

ジブリ映画の「天空のラピュタ」にも似ているというこの城址は、そのユニークな形状と、天守閣跡に建てられた展望台からの眺めが素晴らしいです。

 

城の歴史はかなり古いようです。

源頼朝の家臣だった加藤景廉(かげかど)の長男である景朝は遠山姓を名乗るようになりましたが、さらにその子である遠山景村がこの地に進出。

元弘年間(1331年~1334年)には砦が築かれましたが、天文年間(1532年~1555年)には遠山正廉によって苗木城が建造されました。

遠山家は織田家の家臣として桶狭間の戦いで善戦するなど活躍を見せます。その後、甲斐の武田家とも接近し、織田・武田両家の連衡を成功させます。

しかし、この友好関係は長く続きませんでした。

天正2年(1574年)、武田勝頼は東美濃に侵攻を開始。苗木城を奪います。

翌天正3年(1575年)には長篠の戦いの一環として織田信忠(信長の子)が苗木城を奪い返し、遠山友忠が城を支配します。

このころまでは、武田家と織田家の力は拮抗しており、遠山家も武田家に付く者、織田家に付く者とさまざまに分かれていたのですが、長篠の戦いで織田家の力が優勢となると、武田家に付いていた遠山家の者は処刑されたといいます。

 

下って天正十年(1582年)は激動の一年でした。

織田信忠を総大将とする織田軍と壮絶な戦いを繰り広げた武田勝頼は3月に天目山の戦い(山梨県)で力尽き、自刃します。

甲州征伐とよばれたこれら一連の戦いに苗木遠山家からは友忠が参戦し、活躍をみせます。

ですが、武田家を滅亡させた織田信長・信忠親子も同年6月2日に起こった本能寺の変で自刃。

 

もともと仲が悪かったのか、友忠は木曾義昌らと共謀し、同じ織田軍の森長可(鬼武蔵)の暗殺を計画しますが、事前に発覚し、失敗。

豊臣秀吉に付いた長可は、7月には友忠の守る苗木城を攻めます。

この時は失敗したものの、翌年天正十一年(1583年)五月に長可は再度城を攻め、落城させています。

友忠は浜松の徳川家康の下に逃げ込みます。

 

その長可も天正十三年(1855年)の小牧・長久手の戦いで戦死。

苗木城は長可の弟である長重(忠政)が継ぎましたが、慶長四年(1599年)忠忠が念願であった川中島へ移封されると、代わりに川尻直次が入城。

しかし、翌慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いが勃発し、西軍に付いた直次は討死してしまいます。

この期を突いて、遠山友政が苗木城を攻略。

徳川家康から正式に苗木藩が認められ、友政は初代藩主となります。

 

その後、最後の藩主・友禄(ともよし)まで遠山家は江戸時代を通して苗木城主を勤めることになるのです。

 

苗木城の特徴としては、岩山を拓いて造っただけあり、巨岩をそのまま配したユニークな構造があげられます。

またもともと財政的に豊かではなかったため、しっかりした天守は造られず、板葺きの天守だったと言います。

木曽川の北岸に建てられ、木曽川との標高差は170m。

北側の守りは堅固ですが、平地がなかったため桝形(敵を狭い場所に追い込み、櫓から集中的に攻撃する場所)を造ることができず、四十八曲がりとも呼ばれるくねくねした上り道をその代わりとしました。道幅を狭くして、90度以上のかなり急な曲がり方にして防御性を高めています。

とはいえ、大人数で守れるような場所がなく、堅固性という点では難攻不落という城ではなかったように思います。

 

もうひとつ加えておくと、遠山家は一万石取だったのですが、通常この禄高では城持ち大名ではなく、陣屋持ちです。しかも江戸時代を通じて一回の移封もなかったのも珍しいといえます。

 

城持大名(城主格)となると、さまざまな義務(参勤交代など)が生じるため、財政的もひっ迫します。遠山家の苗木藩も例外ではなく、幕末には藩士全員から家禄の全額借上げ(つまり無給ということ)を行うなどしても御家の台所は火の車だったといいます。

 

木曽川に面した北側の守りは固いのですが、反対側から攻められると弱いような気がします。

 

巨岩を生かした城づくりが行われていて、それがユニークな形状となっています。

 

大櫓(本来は防御用あるいは物見用の建物ですが、武器庫を兼ねていたと思います)跡。平地の少ないこの地では城下の平らな場所に集中して倉庫を造る必要があったのでしょう。

 

展望台からの眺望は素晴らしいのひとこと。

 

CGを使った再現図。別称の赤壁城のイメージは感じられません。

 

おまけの一枚。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

わたしは鉄道にはほとんど興味がないのですが、突如としてJR御殿場線に乗ってみくなりました。

youtubeで富士山をバックに走る映像を見たからです。

 

せっかく御殿場線に乗るのであれば、東京→名古屋を最安で行こうとも思い、午前中のうちに電車に乗りました。

 

まずは新宿駅から小田急線に乗ります。

新宿からだと小田原方面には小田急線が安くて便利です。

 

①小田急線 快速急行 87分 910円

②JR湘南ライナー 76分 1,520円

③新幹線 新宿→東京 山手線13分 東京→小田原 こだま33分 3,280円

 

所要時間だけ見ると当然、新幹線が速いのですが、待ち合わせ時間を考えると、出発時間によってはそれほど違いがない場合もありそうです。

なにしろ価格の違いは魅力的です。

 

もうひとつ、乗車賃を安くあげるため、今回はJR東海の休日乗り放題きっぷを使用します。

この切符は下記の区間が乗り放題になります。

価格は2,720円で、松田駅で購入できます。

 

 

新宿以外のたとえば東京駅などを発駅とする場合であれば、JR東海道線を使用して国府津駅に行き、そこから御殿場線に乗ってもいいのですが、今回は合理化と新宿駅発なので小田急線を利用します。

 

海側を行く東海道線とは違い、小田急線は山側を走ります。

鶴巻温泉駅を過ぎると、車窓から見える景色はかなり自然色豊かとなります。

 

快速急行の終点は小田原ですが、そこまで行くと行きすぎなので、今回は手前の新松田駅で下車。

所要時間は76分でした。

JR御殿場線の駅は松田駅と名前が違いますが、新松田駅からは目の前の距離です。

 

新松田駅に着いたところで昼過ぎになったので、腹ごしらえでチェーン店の箱根そば

でお蕎麦を食べます。

 

 

天玉そばです。

王道の味ではずれがありません。

 

御殿場線は小田原市の国府津駅から沼津駅を結ぶ全長60.2kmの路線です。

写真左端が切れてしまっていますが、松田駅の9時台から17時台の時刻表です。

 

なかなかのローカル線で、1時間に1本と思っていたほうがいいかもしれません。

今回は乗り換えの時間を調べて行ったので、10分程度で乗車できました。

電車は松田~沼津50km間を103分で結ぶので、かなりのゆとり線と言えます。

 

多くの区間は民家のほとんどないワイルドな場所を通過していきますが、乗車当日はあいにくの曇り空で、残念ながら富士山は見えません。

 

 

歌姫・西島三重子さんが住む御殿場駅付近。

まったくの曇り空ではないのだけれど、雲のいたずらで富士山の雄姿は見えず。

 

 

さすがに御殿場駅では多くの乗客が降りて行きました。

 

沼津駅から名古屋までは、JR東海道本線をまっしぐらに進みます。

まずは浜松駅まで。

沼津→浜松は126分。

 

さらに浜松から乗り放題切符の終点の豊橋まで。

浜松→豊橋間は、33分で到着です。

 

 

浜名湖に架かる橋を渡るときの景色は、何回見ても感動します。

 

豊橋駅では、一回改札の外へ出て、海側(新幹線側)の出口を降りたところにある金券ショップの自動販売機で割引チケットを購入します。

 

この区間は名鉄線との競合区間ですが、チケットはどちらの区間も930円でした。

 

① 名鉄 快速急行 49分 1,270円 

② JR  快速   56分 1,340円

 

所要時間だと名鉄にわずかに歩がありますが、JRのチケットは名古屋市内有効だったこともあり、JRを購入。

 

 

ここで夕焼けの時間となったので、ビールも購入。

少しぼぉっとしているうちに名古屋に到着しました。

 

新宿→新松田   796円

新松田→豊橋 2,720円

豊橋→金山    920円

合計     4,436円

 

新幹線東京→名古屋が11,100円(指定利用)ですから、半額以下で行けたことになります。

 

時間のほうですが、7時間ほど掛かるので、アトラクションと考えられる人のみチャレンジしたほうがいいでしょう。

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 

 

 

 

Why do we fall,sir?

We can learn to pick ourselves up.

(人はなぜ穴に落ちるのでしょうか?

這い上がることを学ぶためです)

 

後にバッドマンになるブルース・ウエイン(クリスチャン・ベール)が屋敷を焼かれ、失意のどん底に陥っているときに、執事のアルフレッド(マイケル・ケイン)が掛けた言葉です。

 

この言葉には伏線があります。

幼いとき、ブルースは古井戸のような穴に落ちて、コウモリの大群に襲われます。

この時からブルースはコウモリ恐怖症になってしまいます。

 

アルフレッドはブルースの幼児体験になぞらえてこの言葉を発しています。

のちに穴に落ちたときの恐怖を克服するためブルースは自らバットマンを名乗るようになります。

この辺りの伏線の貼り方は見事です。

 

失敗は終わりではなく、始まり。

誰だって失敗は嫌なものです。

ですが、失敗で終わってしまうのか、それとも失敗から何かを学んで成功を掴みとるのか。

この選択肢により、そのひとの人生が大きく変わってしまうのは言うまでもありません。

 

わたしは失敗したことがない。

ただ一万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ。

(トーマス・エジソン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

 
 

 

あまりにも多くなった本を整理しようとしているのですが、本はなかなか捨てられません。

 

買っただけで読んでいない本も多いのですが、中にはかつて熱心に読んだ本もあります。

以前は自己啓発書の類をよく読んでいました。

本にはたくさんのアンダーラインが引いてあります。

行儀がよくないかもしれませんが、わたしは本を読む時には、いいなと思った部分にアンダーラインを引いて読む癖があります。

一回目はアンダーラインを引きながらざっと読んで、二回目ではアンダーラインを中心に読み返すことによって内容を理解するのです。

 

そんなアンダーラインを見返して、改めて本を思い出します。

 

「明日からの人生を楽にする技術」須山康男(PHP研究所)

もかつてよく読んだ一冊。

この中から、アンダーラインを引いた部分を書き抜いてみます。

 

他人からコントールを受けやすい人は、他人に対してコントールしたがる傾向があるようです。

 

相手も分っているはずだ、同じ認識をしているはずだと思うことは、よく考えてみると、ある意味で他人に対する甘え、他人への依存でもあります。

 

私たちが気分を害するケースの多くは、自分の基準とかけ離れたことを言われたり、されたりするときです。

 

人柄とは、その人の考え方も含めて、行動のパターンとしてとらえることでより具体化します。

人柄が行動のパターンであるならば、行動のパターンを意識的に変えていくことで。私たちは自分の人柄を変化せること、向上させることができます。

 

今読み返してもいい言葉だと思います。

 

 

 

 

 

 

書き出しは一番楽しい部分です。

もしここでつまづいているようだったら、何かが間違っています。

何回かしっくりくるまで書き直してみることも必要です。

 

起承転結の起の部分ですから、どこまで引っ張るか考えなくてはいけません。

書き出しがあまりに長くなってしまうと、当然のごとく全体もかなり長いものとなります。

とりあえず長く書いてもいいのですが、後で大幅に削るのがうまく書く秘訣です。

あまりに長いと言いたいことがぼやけてしまうからです。

 

書き出しは幼少期や学生時代の記述になる場合が多いと思います。強く記憶に残っていることから書き始めましょう。

古いもの順に時系列通りに書いて、カットバックは用いないようにしたほうがいいと思います。

 

人が羨むような内容なら極力謙虚に、逆に悲惨な内容なら明るく書いて、読者に不快感を与えないようにしましょう。

 

 

 

うちの両親は教育ママや教育パパではなかったのだが、なぜだかお茶の水大学付属小学校を受験させられた。

今はどうだか分からないのだが、当時はほとんどの受験生が合格する簡単な筆記試験があり、最後はくじ引きで合格者が決められたような気がする。あるいは、最初からくじ引きだったかもしれない。

お茶の水大学付属小学校は茗荷谷にあるので、当時だと国際興業バスで池袋まで出て、そこから丸の内線に乗り換えなければならなかった。

これはとても面倒だ。

わたしは不合格だったのだが、とてもほっとした。

その結果、区立高松小学校に入学することになる。

初登校の日、男と女の人の顔が書いてある紙を配られ、

「このふたりの絵に眼鏡を書き加えてみましょう」

と言われた。

お茶の水大学付属小学校でのテストの内容は全く覚えていないのだが、高松小学校で指示されたこの内容は、はっきり覚えている。

子供心にこれは、

「反社会性を見ているのではないか」

と思った。

いずれにせよ、馬鹿にされているような気持ちになった。

小学一年でこんな見方をしていたのだから、その頃から天邪鬼の萌芽は芽生えていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリア出身のエミリー・ブラウニングは不思議な雰囲気をまとった女優です。

スマッシュヒットした映画に恵まれていないので、日本での知名度は低いかもしれませんが、ホラー映画「ゴーストシップ」で少女の幽霊役を演じた女優だと言うと分かる人もいるかもしれません。

そのエミリーが主役を演じたのが「ゴッドヘルプザガール」(2014.イギリス)です。

「ベル&セバスチャン」というこれまたあまり日本では知られていないイギリスのバンドのボーカリストであるスチュアート・マードックが監督・脚本を手掛けています。

 

主な登場人物は女性ふたりと男性ひとり。

恋の駆け引きの展開を予想しますが、登場人物たちは不思議な距離感を保ったまま映画は進みます。

主演男優のオリ・アレクサンドルはゲイであることをカミングアウトしていますが、この辺りキャスティングも面白いところです。

挿入される楽曲はベル&セバスチャンのものですが、実際に主要人物の三人が歌っています。

オリは後にエルトンジョンとジョイントしたこともある本職であるから当然として、エミリーともうひとりのハンナ・マリ―の歌唱も見事です。

 

ノスタルジックな感じのするベル&セバスチャンの曲調とエミリーのオールディーズっぽいファッションがベストマッチして、とびきりおしゃれな映画になっています。

 

すっぴんに近いような場面やかなり濃い目の化粧もあり、エミリーはとびきり可愛く見えたり、そうでもなかったりします。

この映画の成功の鍵はエミリーの可愛さに掛かっているはずなのですが、監督は揺れ動く少女の内面を描くために、敢えてマイナスになるような場面も描いたのだと思います。

 

全体を通すと中途半端な印象が残る映画です。

ですが、この中途半端さがベル&セバスチャンであり、スチュアート・マードック監督なのでしょう。

中途半端な印象が残るとしても、とびきりおしゃれでポップな映画だと思います。

Amazonプライム会員の方はぜひご覧になってください。

 

予告編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、これまでで準備は整いました。

いよいよ船出です。

書き始めていきましょう。

 

書き出しに当たってひとつ考えなくてはいけないのが人称です。

 

私は東京都新宿区で生まれた。

 

と、書くのか、

 

木村忠啓は東京都新宿区で生まれた。

 

と書くのか、ということです。

 

小説創作においては結構大きな問題なのですが、自分史においてはどちらでもいいように思います。

 

自伝を読むとたいがいは、「わたしは~」と書かれています。

しかし、自伝と自分史はちょっと違うかな、と思っています。

 

私は、と書くと主観的に、木村忠啓は、と書くと客観的に書くのが容易になると思います。

少し書き始めてしっくり来るほうを選べばいいでしょう。

 

 

人称が決まったら、起承転結に従って書いていきます。

カットバックは使わず、時系列的に書いたほうがいいと思います。

まずは幼いころの思い出を書いていきましょう。

当時聴いていた音楽だとかテレビ番組なども書くといいでしょう。

 

さわりの部分を自分でも書いてみます。

 

わたしは新宿区で生まれた。

新宿といっても中落合なので、限りなく豊島区に寄った土地だ。

聖母病院といってなぜかキリスト教の病院だった。

当然、そのころの記憶はない。

最初の記憶は幼稚園時代まで飛ぶ。

通っていたのは忠信幼稚園と言って池袋にある幼稚園だった。

国際興業バスで通っていたように記憶している。

いや、バスで通ったのは数回で送迎してもらっていたのかもしれない。

はなはだあやふやな記憶だけれども、初めてバスに乗る際に、とても緊張したのは覚えている。

調べてみると、忠信幼稚園は岩倉具視の娘が創立した幼稚園だそうだ。

地元ではけっこう名門幼稚園らしく、親の期待が込められていたんだなあ、と改めて感じた。

 

 

 

 

 

小説の新人賞応募作を読んでいると、カットバックの使用率がかなり高い印象を受けます。

小説においてカットバックシーンを挿入すると、内容がごちゃごちゃして分かりにくくなるため、難易度の高い技法なのですが、好んで使いたがる人が多いことに驚きすら感じます。

 

カットバックシーンの挿入は、映画やテレビの影響が大きいのだと思います。

映像ではカットバックは親和性が高く、比較的、容易に使用できるようです。

 

先日、映画「We live in time  今この時を生きて」を観ました。

この映画はカットバックの連続によって成り立っている作品です。

 

チラシを見ると、

「喜びのひと時、悲しみの瞬間が、時間軸をシャッフルしながら描かれていく」とあります。

 

シャッフル!

つまり、過去に起こったできごとが時系列的に並んでいないのです。

たとえば、昨年の3月のできごとが語られたあとに、おととしの12月、その次は昨年の7月みたいにバラバラに並べられているのです。

これはわかりづらいです。

 

ですが、カットバックを好む観客がいるのも事実で、レビューを読んでいると、次第に明らかになっていく過程がいい、などという評価もあります。

 

内容が多少分からなくても映画はどんどん進んでいきます。

観客は受動的でいい、という点がカットバックと映画の親和性に影響しているのだと思います。

 

いっぽう、小説の読者は能動的でなければならないので、分からないシーンの登場はとても引っかかるものです。

 

映画やテレビ的な感覚を小説に持ち込んでカットバックを用いると、途端に小説は混迷します。

 

さて、この映画「We live in time」ですが、不思議女優フローレンス・ピューを主役に迎えての恋愛映画です。

深刻な話もウエットにせず、どちらかというと淡々と描いています。

カットバックは観客との間に距離を置く効果があるのかもしれません。

 

ラストもあっさりとしていて、観終わったあとになんとも不思議な気持ちになりました。

好き嫌いが分かれる映画ではないでしょうか?

 

 

We live in time 公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで用意ができたら、書き始めたいところですが、その前に最後チェックです。

 

小説で起承転結だとか、破序急と言われるストーリー構成を考える必要があるのです。

最初に表を作った時に記述の多い年が最も色々あった年だと述べました。

つまり記述の多かった年が山場になってきます。

起承転結でいえば、転の項に書くわけです。その次の結は現在の自分の立場や考えを書きます。

後半はこれで決まりです。

 

前半の起の項は、やはり生まれ育った幼少期から青年期の記述です。

承の項がちょっと難しいのですが、転の項が生きるように少し低迷期の記述がいいように思います。

 

自分史は頑張った自分に対するご褒美です。

自分で自分の書いたものを読み返して、

「俺もなかなか頑張ったな」

と自己満足できる作品がいいのです。

 

その「頑張った感」を生み出すのが、この承の部分なのです。承で起こったさまざまな問題を転で解決します。

 

逆に言えば、承で多くの問題を提示しないと、その後の部分を読んでも感動できません。努力して障害を乗り越えた時のカタルシスが得られないのです。

 

 

それらの構想が決まったら、それぞれの章に見出しを付けます。

 

具体的に言うと、

 

第一章 乱暴者と呼ばれて

第二章 暗闇に落とした鍵

第三章 偶然の邂逅

第四章 明日を信じて

 

みたいな感じでしょうか。

 

見出しを見ただけでなんとなくストーリーが浮かんできませんか?

推理小説などでストーリーが分かりやすい見出しを付けてしまってはいけませんが、自分史ではオーケーです。

 

ここまでで準備段階は終わりです。

次はいよいよ本文を書いていきましょう。