映画「スマッシング・マシーン」は総合格闘技の黎明期といえる1990年代に現れ「霊長類ヒト科最強」と謳われたマーク・ケアーの半生を描いています。
主演は、「元スタープロレスラーの」という肩書が霞むほど大スターになったドウェイン・ジョンソン。
プロレス好きのわたしとしては、とても楽しみにしていた映画です。
この映画は2002年に製作されたドキュメンタリー「The Smashing Machine」を下敷きにしています。
まるでドキュメンタリーをなぞったかのような冒頭のシーンから始まります。
その後も、ドキュメンタリーにそっくりなシーンが続きます。
どこかで映画ならでの展開になるのだろうと思っていたのですが、なんと最後までドキュメンタリーと同じような展開。
まるで「The Smashing Machine」を単にリメイクしただけのような表現には疑問を抱いてしまいます。
フレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年)から、実在した人物を物真似レベルまで似せて演じるのが映画界での主流になっているように思います。
映画には映画でしか描けない世界があるのですが。
映画にしろ、小説にしろ、テーマが必要だとわたしは思っています。
その点、この映画にはテーマがないと感じました。
マーク・ケアは、薬物使用をやめて再起し、勝利を収めるのですが、映画はそこで終わらず、二戦目の敗戦も描きます。
その敗戦はマーク・ケアの精神的な部分によるところが大きかったという描き方ですが、そこから得られる結論じみたものはありません。
ドキュメンタリーとは違うのだから、取捨選択をしてもいいのではないのでしょうか。
元プロレスラーのドウェインがマークを演じるので格闘シーンも迫力満点。
と言いたいところですが、プロレスと格闘技は似て非なるもの。
いまひとつ迫力が伝わってきません。
気になる点もあります。
試合結果を変えている部分があるところです。
なぜここまでドキュメンタリーに忠実なのに、試合結果という事実を変えてしまったのでしょうか。
(エンセン井上戦は、KO勝ちではなく、判定勝ち)
舞台は1990年も終わりを告げるころ。
日本では空前のバブル景気が起こり、その風船が弾けたころです。
そんな時代に湧きおこったのが、総合格闘技ブーム。
ボクシングの真剣勝負の持つスポーツ性とプロレスの華やかさがうまくミックスしたのが原因です。
レスリングを主体としているので、当初はプロレス寄りの傾向があったのですが、ブラジリアン柔術のグレーシー一族の活躍で、にわかに新しい格闘技としての色合いが出てきました。
ルールもころころと変わり、クレバーでないと勝てない競技でした。
桜庭選手というクレバーな選手が活躍したのも、時代の間隙を縫ったと言えます。
総合格闘技には深い闇があります。
薬物の使用に関しての規定です。
最近ではUFCのように薬物の使用に関して厳格な団体もありますが、黎明期の格闘技界においては、薬物の使用は常識でした。
マークも倒れるようなことがなければ、薬物を使用し続けたと思います。
彼はやむなく薬物の使用をやめ、その分をトレーニングにて補おうとしました。
闇というのはこの部分です。
格闘技の主催者は派手なKOシーンを求め、選手の薬物使用は黙認してきました。
薬物は人間の身体にひどいダメージを負わせますが、見返りも絶大です。
他の者が薬物を使用しているのに、自分だけが使わないのは最初からハンデを背負っていることになります。
マーク・ケアーは身体が限界にきて、薬物使用をやめるのですが、その後勝てなくなったのは、他の選手の中に薬物を使用する者が多かったからでしょう。
この闇を深く描いてもよかったし、もっとエンタメに徹してもよかった映画です。
中途半端というより、ドキュメンタリーとそっくりで、もったいな、という感想です。
お勧め度 ★★☆ (50点/100点満点)






















