あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、
「ここから出て行きなさい。
ヘロデがあなたを殺そうとしています」。

そこで彼らに言われた、
「あのきつねのところへ行ってこう言え、
『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。

しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。
預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。
ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。
それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。
わたしは言って置く、
『主の名によってきたるものに、祝福あれ』
とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。












神の遣わした者を人が勝手に殺すことはできない。

しかし、人が全く受け入れないので、預言者は殺されて死なねばならない。

預言者はあなたのために遣わされたのに、あなたが受け入れないので、神の御心は無意味になります。

今、私たちの言うことを受け入れられないことが、その証明となっています。

私たちは特におかしいことは言っていません。

イエス様を信じるべきで、パウロを信じるべきではない。

神を信じ、人を信じてはいけない。

と言っているのですが、何もおかしいことはありません。

人は色々なことを言いますが、人の言うことでどうにかならないのです。

病気が治ったり、死人が生き返ったり、聖霊が宿ったりしないのです。

人にできないことも神ならできるから、希望があるのです。

人にはできないのに、なぜ人を信じるのか。

神を信じなさいと言っているのです。

人を信じる人たちは見捨てられてしまいます。

神であるイエス様の救いなのに、なんで人を信じているのか。

主の名によってきたるものとは、イエス様を信じなさいと言う人です。

イエス様を信じないならイエス様に会うことはありません。