あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。

そこでイエスは答えて言われた、
「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。

あなたがたに言うが、そうではない。
あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。

また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。

あなたがたに言うが、そうではない。
あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。

それから、この譬を語られた、
「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。

そこで園丁に言った、
『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。
その木を切り倒してしまえ。
なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。

すると園丁は答えて言った、
『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。
そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。

それで来年実がなりましたら結構です。
もしそれでだめでしたら、切り倒してください』」。












悔い改めなければ、同じ。

罪の負債は全員同じであって、悔い改めてイエス様に返済しなければならない。

キリスト教には悔い改めがありません。

もう救われたと信じているから、救われた後に何かを変化させることはありません。

既に救われていて、既に清いので、善人の様に振る舞って、人に神を教えていれば良いと信じています。

救われると信じているから、悔い改めません。

イエス様を信じているのではなく、パウロを信じているから悔い改められないのです。

イエス様を信じるなら常に悔い改めます。

悔い改めの連続であって、少しでも間違いだとわかったなら即座に改めないと自分は変わって行きません。

悔い改めの実は結んでいませんが、悔い改め続けていれば、来年実が成るかもしれません。

この信仰の結果、実が成らなかったなら、切り倒してください。

イエス様の道の邪魔に成るようなら、切り倒して滅ぼしてください。

しかし、悔い改めないなら、そもそも実が成る可能性はゼロです。

悔い改めない人は間違いなく救われません。