あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした。

彼らはきてイエスに言った、
「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。
あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。
ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。
納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。

イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、
「なぜわたしをためそうとするのか。
デナリを持ってきて見せなさい」。

彼らはそれを持ってきた。
そこでイエスは言われた、
「これは、だれの肖像、だれの記号か」。
彼らは
「カイザルのです」
と答えた。

するとイエスは言われた、
「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
彼らはイエスに驚嘆した。












偉い人でも、卑怯な人でも、残酷な人でも、従うのです。

仕えることがイエス様の示した神の道です。

この世で負けて全ての人に笑われて、徹底的に叩きのめされても、それで良いのです。

私は間違いなく罪人だからです。

お前が悪いと言われるのは当然のことです。

自分を正しくしようとするのが悪霊です。

自分は正しくないのです。

自分を良いとして、他を悪いとすることで、自分が正しくなったような気がすることが、重い病です。

自分が正しく、善であり、清い者だと思うことは、他を間違いとし、悪として、汚れていると思うことです。

他を否定すると自分が正しく思えてしまうのです。

正しくなるとは、神のようになってしまうということです。

正しいのはイエス様だけだからです。

偉い人には従うのですが、その前にイエス様に従うのです。

イエス様が第一であれば、この世で最悪でも、何もかも全てを失っても、良いのです。

何よりも下となって、何にでも従って仕えるのです。

上になってはいけません。

貧しい人は下にあって虐げられているのです。

どこまでも謙らなければ苦しむ人のそばに居ることはできません。

イエス様に自分を返すなら、イエス様の御心に叶っていないと返せません。

人殺しをイエス様は受け取りません。