旧中山道六十九次・街道を歩く
第21回c 塩尻宿~下諏訪宿
令和 7年 9月23日(火)秋分の日
第17回以降の 歩き中仙道 は、今回から暫らくの間だけツアーから離れ 独自 で 公共交通機関 を利用して歩く予定をしています。
第21回b(前編)からの続きとなります。
11:26 塩尻峠史跡群
長い登り坂の 永井坂 は、如何やらこの辺りが峠と思われますので、ここからは下り坂となります。
尚、この峠には史跡なども多く残されていますので、休憩を兼ねながら探索してみようと思います。
明治天皇塩尻領御膳水碑
峠から階段を少し上がり、そこには明治13年(1880年)6月に 明治天皇が巡幸 の際に野立てをされた記念の碑が建てられています。
それと、昭和22年(1947年)10月には 昭和天皇 も塩尻峠を訪れています。
富士浅間社/江戸時代
明治天皇記念碑から少し上がると、 富士浅間社 の石社が祀られています。
この地は、松本藩領と諏訪藩の郡境界の宮としての石祠を祀ったと伝わっています。
歩き中仙道
峠から急な坂を下る途中、初めて見る 養蜂場 を目に留めましたが、巣箱の周りを羽音を立てて飛ぶ多くの蜂に驚き、瞬間的に足を速めてしまいました。
其れからも下り続けていると、フト足下に目を向けた先には、毬を纏った 栗 が転がっていました。
”暑さ寒さも彼岸まで” とは良く言ったものだと、つくづく秋の訪れを感じました。
旧中山道の大石
旧街道ウォーキング「人力」によると、
伝承によれば、昔この大石にはよく盗人が隠れていて、旅人を襲ったと言われている。
ある時のこと、この大石の近くで旅人が追いはぎに殺され、大石のたもとに埋めれれた。
雨の降る夜に下の村から峠を見ると、大石の所で青い火がチロチロと燃えていたという。
また、この辺りは昔よくムジナが出て、夜歩きの旅人を驚かし、そのすきに旅人の持っている提灯のローソクを奪ってたという(ムジナはローソクの油が大好物という)。
諏訪湖遠望
今旅では、初めて見る 諏訪湖 の遠望です。
昔、仕事仲間の3人で夜通し車を走らせ、ワカサギの大漁を懐かしく思い出しました。
石船観音
本尊の馬頭観音が、船状の台上に安置されている所から 石船観音 と呼ばれ、足腰の弱い人に御利益が有ると言われています。
境内の鳴沢清水は、旅人や参拝者の喉を潤してきました。
稲の天日干し
最近は、殆んど目にする事が無くなった 稲の天日干し ですが、勝手に想像するのは農家さんが自ら食べる自家用米と考えらえます。
一般消費者が普通に買って食べている米は、稲をコンバインで刈り採ると同時に脱穀まで行い、 機械乾燥 後に玄米として出荷されます。
12:22 ランチタイム/ガスト岡谷インター店
山中から住宅が点在する地域に入り、そこで旧中山道と並行する国道20号線沿いに位置する ガスト を発見し、中山道から外れてランチタイムとしました。
歩き中仙道
ランチタイムが済み、旧中山道に戻っての 再スタート としました。
今井茶屋本陣跡/明治天皇今井御小休所
西に塩尻峠を控え、4軒の茶屋が営んでいる四つ家立場と呼ばれ、今井家が 茶屋本陣 を務めていました。
また 皇女和宮 が休息し、門脇には「明治天皇今井御小休所」跡の碑が在ります。
今井番所跡
高島藩が設けた口留番所、ここを通過するためには前もって高島藩が許可する 通行手形 が必要でした。
石塔群
横河川に架かる大橋の傍には、道祖神・天満宮・蚕玉神社の 石塔や石碑 が残されています。
歩き中仙道
場所的には未だ 岡谷市 ですが、もうそろそろ下諏訪町に入るかなと思いながら歩いています。
彌林山平福寺 長野県岡谷市長地柴宮3-3-22
平福寺では縁日が開かれ、大勢の方々が交通誘導員の案内で出入りしていましたので、少しだけ覘いてみました。
すると、入り口近くの広場に信州名物 あべかわ餅 の屋台を見つけましたので、自宅用にお土産として買いました。
その後は、檀家さんの邪魔にならないように境内を出ました。
旧渡辺家住宅
案内標柱通りに路地へ入り、すると其処には代々高島藩主に仕えた 散居武士 (城下町ではなく在郷の村々に住んだ藩士)の茅葺家屋が、今でも直ぐ住めるかのように整備されていました。
散居武士は、村の治安や警備を担っていたようです。
令和6年10月、約30年ぶりの茅葺屋根葺き替え工事(一部差茅)等が終了しました。
歩き中山道
ここは 何処 かな?
本人が言うのも変ですが、未だ岡谷市なのか、それとも下諏訪町に入ったのか、我ながら解らないままに歩いています。
歩き中山道
この路地も旧中山道ですが、以前にも同じような 路地 が在りましたので、別に驚く事では有りません。
歩き中山道
砥川に架かる富士見橋を渡り、直ぐの堤防を歩いていた時の事でしたが、中山道の道標は 獣道 を指していました。
ビックリしましたが、普通に舗装された迂回路を行けば何の問題も無いようです。
歩き中山道
元々は普通の街道でしたが、何時の間にか時代の流れでこの 狭すぎる 旧中山道になったようです。
昔はよかった!
魁塚(相楽塚)/休憩 長野県諏訪郡下諏訪町5360
下諏訪町のHPによると、
明治3年に建てられた赤報隊をまつる碑。
近年、人気漫画 るろうに剣心 でも注目を浴びた赤報隊の相楽総三が斬首された場所。
赤報隊は勤皇・倒幕を志す郷士らの集団で、それを率いた相楽総三は新政府の支持のもと、年貢半減を掲げ東へ群を進めていました。
ところが、正式な官軍としては認められていなかったので、一旦京都へ戻るよう命令がでました。
赤報隊はこれに従わず、ここ下諏訪の地で「偽官軍」としてとらえられ、相楽をはじめ幹部8名が斬首されました。
中山道下諏訪宿
下諏訪宿は、諏訪大社下社の 門前町 として古くから栄えていました。
東に難所の和田峠、西に塩尻峠そして甲州道中の追分を控え、中山道唯一の 温泉場 として賑わっていました。
下諏訪宿は、天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、
人口 ・ 1345人(男 706人、女 639人)
家数 ・ 315軒
本陣 ・ 1軒
脇本陣 ・ 1軒
旅籠 ・ 40軒

下諏訪宿高札場跡
元々は、問屋場のところに在りましたが、手狭になった為に 宿場の外れ に移転したようです。
中山道下諏訪宿/立町通り入口提灯
もしも、疲れ果てて宿場の到着が夜だったら、 提灯 の灯りに感激したかも知れませんネ。
元商家
元商家らしき建物ですが、手入れが行き届き往時の 面影 が思い浮かばれるようです。
宿場街道資料館
資料館は、江戸時代に中山道と甲州街道の合流する 宿場町 として栄えた下諏訪宿の機能や様子、幕末に下諏訪で起きた事件についての紹介などをしています。
建物は、明治7年にこの一帯が大火に見舞われた後に建てられたものですが、江戸時代の商家の特徴をよく残しています。
諏訪大社秋宮
初めて訪れましたが、 諏訪大社 は長野県の諏訪湖を囲むように、上社前宮と本宮、下社春宮と秋宮の四社からなる神社だと言う事を知りました。
鳥居
帽子を手に取り、 一礼 してから鳥居の脇を潜りました。
神楽殿
わけも解らず、此方で お詣り しました。
弊拝殿
この位置より、拝みました。
15:31 JR下諏訪駅
駅に着き、時刻表を見ている内に 32分発 の電車が発車してしまいました。
再び時刻表で次の電車を見て見ると、ナント、次は 16時27分発 となっていました。
仕方なく、待合室で不貞寝をしながら時間の経過を待つことにします。
16:54 自宅着
歩き中山道も距離が延び、徐々に時間と体力の消耗も大きくなって来たように思います。
名古屋からの電車 往復距離/369.3km でした。
一日の万歩計は、 27,676歩 です。
次回の 歩き中仙道 は、なるべく早い時期にと考えています。































