所在地 ・ 福井県福井市中央1丁目
遺構等 ・ なし
築城年 ・ 1575年(天正3年)
築城者 ・ 柴田勝家
形式 ・ 平城
登城日 ・ 平成23年 7月17日(土) 11:28
義父と共に3人で親戚宅を訪ねた帰りに、柴田勝家が築城した「越前 北の庄城址」を訪ねてみました。
城址観光の駐車場は、直ぐ近くなのに探しきれずにウロウロしながら、やっと見つけて車を停めることが出来ました。
織田家一の武将と言われ、柴田勝家が福井を納めていた際に築城された名城址は、安土城の7層をしのぐ9層の天守閣を持つ最大級の城だったと言う記録が残されています。
北の庄城は、福井城築城によって完全に消滅したと伝えられていて、現在の柴田神社の境内が本の丸天守閣と言われているようです。
織田信長の妹であるお市の方は、1567年(永禄10年)に信長の意により近江小谷城主の浅井長政に嫁ぎました。1573年(天正元年)長政は信長に攻め滅ぼされ、3人の娘(お茶々・お初・お江)と共に尾張に帰りました。
1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が没した後に、お市の方は3人の娘を連れて柴田勝家と再婚しました。
勝家が羽柴秀吉と対立して、1583年(天正11年)賤ヶ岳の戦いで敗れた為に、同年4月24日勝家とお市の方は、共に北の庄城内で自害しました。
長女のお茶々は淀君(豊臣秀吉側室)に、次女のお初は常高院(京極高次正室)、三女のお江は崇源院(徳川秀忠正室)となりました。










