高校卒業までを、京都府の北部、丹後で過ごしました。

実家は、丹後半島のど真ん中。
天橋立や、間人(たいざ)ガニ、海水浴場や民宿がある海辺ではなく、山の中。
(だいたいここらへん。)
 

 


同じ京都府でも、縦に長いので、帰省するには、京都駅から約3時間はかかります。

京都=舞妓さんがいて、趣のある町屋がならび・・・といったイメージとは全く別の、田舎。
いや、自然豊かな所です。


いわゆる、『京都弁』も使いません。

例えば、
他府県の方とお話しした際に、
よく、「京都っぼい言葉」と言われる、
『~してはる』(しているの尊敬語)
は、
地元だと、
『~しとんなる』
と言います。

『しんどい』
は、
『えりゃあ』 (えらい、の変化形)。


語尾にも、
『~でぇーえー、』

『~だっちゃ。』
など、
なんとも活字で表現しづらい文字が続きます。

ちょっと脱線しました。


白生地の『丹後ちりめん』で有名な丹後ですが、
西陣の帯の下請けである『出機(でばた)』も多く、
私の母も、自宅と繋がっている機屋で、帯を織っています。
機械織りの帯です。
(機屋には、こんな織機が2台あります)

 

 

 

 


ガチャンガチャンと、すごい騒音の中でのお仕事です。


昔、着物業界が元気だった昭和30~40年代頃は、
ガチャンと織ったら一万円(!!)という、
『がちゃまん景気』
(すごいネーミング・・・)
に沸いた時代もあったそうですが、
不景気と、着物離れで、出機も激減。
織機を処分してしまった方も多いとか。
母も出機を止めていた時期もありましたが、織機は残していたので、今またぼちぼちお仕事があるようです。


同居していた祖母は、
私が小学校の時に亡くなってしまいましたが、
着物の行商をしていました。
呉服屋さんから目利きで選んだお着物や、お客様が探している商品を、風呂敷いっぱいに背負って、時には鳥取県まで売りに行く、かなりやり手の元気なおばあちゃんでした。

そんな家で育った私。
七五三や、十三参りの折には、着物を着せてもらってはいましたが、
実は若い頃は特に着物に興味がなく、
成人式の振袖も、親戚の伯父さんにぜーんぶお任せしたくらい。(今思えばなんてもったいない・・・もっとこだわれば良かった。。。)

大学卒業後、京都市内に住むようになって、
『せっかく京都(市内ね。)にいるのだから、自分で着物でも着れたらいいかな・・・』
と軽い気持ちで着付教室に行きはじめてから、どんどん興味がわいてきました。


やっぱり、着物好きの血が流れてたってことか。。。


母も、私が着物を着るようになったことを喜んでくれているようで、
実家に帰省する度に、
『今はこんな柄の帯を織っとるだで。』
と見せてくれます。
私の方も、着物姿の写真を見せて近況報告をしたりしています。

母は、手先が器用なので、余った帯地や、ちりめんの布等で、
色々な小物作ってくれたりします。
実家の玄関は母の趣味の作品で埋め尽くされてます。
(かなり大量なので、その様子はまたの機会に。。。)


先日、鞠小路スタイルの講座に行かせていただいた時も、
母お手製の、帯地の手提げが活躍。

 

 

 

 


ちょっと縦長で、バランス悪めですが、
ノートなんかもすんなり入るので助かってます。



ありがとう、お母さん。





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