どっかの番組のことを言っているわけではないですが。
ご存知のとおり、我が家の次男は発達障害として生まれ、軽く知的にも遅れがあるので色々難しい事もありますが、今ではだからどうだと言う事はないです。
以前は正直言って「なぜ(他の兄弟と比べて)次男だけこんなんなんだ?」「何をするにも手間がかかって仕方ない、なんの罰ゲームなんだ?!」と思ったこともありました。ハイ、正直です。
けど、発達障害について学んでから、これは誰のせいでもない、本当に困っているのは次男自身だ。と思うようになりました。そして決して不幸ではない。
ここでよく言われるのは「こんな子を育てられるあなただから選んで生まれたのだ。」とか
「誰かの不幸を引き受けているのだ。」とか「障害児は可愛い」とか「誰かの生まれ変わりだ。」とかそういう何の根拠もなく慰めにもならない言葉があります。
それを聞くたびに違和感があります。
実は長男が生まれてから次男が生まれるまでに一人いました。まだ長男が小さかった頃のクリスマス近くにお腹の中で亡くなりました。
生まれるはずだった子供について「まだ生まれるタイミングでなかったから帰って行ったんだよ。」とか「長男の世話で大変で無理したから。」とか言う人がいました。どれも腑に落ちなかったのですがある人が「たまたま卵が弱かっただけ。確率的によくある事。」と言ってくれたのが一番心に響きました。ああ、誰のせいでもないんだ、長男のせいでもない、と。
その翌年のクリスマス近く、次男は生まれました。たまたま同じ時期の一年後だったんです。
次男が成長し、障害があると分かったら「前の子の供養をちゃんとしてないからでは?」「あの子の生まれ変わりなんじゃない?だから倍世話がかかるのよ。我慢してがんばって。」とか言う人もいました。
聞き流していましたが、かなりムカッとしていました。
次男は次男です。誰の代わりでも無いし、供養はそれなりにしました。私にしてみれば死んだ子供より今生きているこの子たちの世話でいっぱいいっぱいです。どっちが可愛いかなんて言わずと知れたこと。
そして誰かの不幸を代わりに背負っているわけじゃない。だって不幸じゃないから(笑)不幸にしたくないし。
誰かを幸せにするために生まれたのでもない。自分が幸せになるために生きているんです。
そのための手助けはナンボでもしますよ、親ですからね。ハイ、親バカです。あえて苦労する道を進むことはない。たまたま苦労にぶち当たったら、一緒に対策を練るだけ。
私のような考えと真逆な人もいるでしょう。それはそれで良いですよ。
ただ、押し付けられてはかなわんです。
障害児も健常児も可愛くない子は可愛くない。可愛い子は可愛い。
元々私、それほど子供好きではない事は以前から公言していますし(笑)
子供だから、ではなく「人として」接しているだけです。人間は好きですから。ただのお節介オバチャンです。
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