春はいつの間にか走り抜けるように過ぎ去り、目の前にはもう夏が迫ってきている。
そうなってみると気付くのは、いかに自分がレタスに依存していたかということと、思いのほか──レタスを愛していたということである。
「レタスのどこが好きなんだい?」
自分自身にそう問いかけてみても、まるで難解な方程式の解を求められたときのように混乱してしまい、思考の渦がとめどなく回り続けてしまう。
そうやっているうちに僕は「わからない。でもわからない愛も悪くはないもんだ」と思い至るようになった。
ここ最近の食卓はレタスに溢れ──そう、それはサラダだけではなく炒め物、汁物として──僕を形成するひとつの要素となってくれた。
その一方で「レタスが1玉200円以上だったら、果たして購入するのであろうか」ということも考えた。
今の僕の立場からすれば、買うかもしれないし買わないかもしれない──そこについて明確な答えは出すべきではないと思うし、一方で「1玉100円だったからレタスを買っていた」という側面を否定することはできなかった。
僕はいよいよ頭を抱え、ふと目の前にいるレタスに視線を投げかけた。
すると、レタスはこう語った。
「あなたが私にとってどんな存在かは知らないわ。でも私にとってあなたがどんな存在かもわからないのよ。そういうものなの」
レタスは続けた。
「でも踊るしかないのよ」
「踊る?」
「それもとびっきり上手く踊るのよ。みんなが感心するくらいに。そうすれば何かがわかるのかもしれない。だから踊るのよ。安売りの続く限り」
ヤスウリノ ツヅクカギリ。
そして僕はスーパーへ向かい、野菜売り場へと足を運んだ。できるだけ早く、息の続く限り、前に、前に。
そこで僕が目にしたものは
「レタス 1玉 238円」
の表記だった。
かくして僕たちのラストダンスは、突然に──そう、あまりにも突然に──霞のようにふっと消えてしまったのだった。
木村食堂「レタス ダンス レタス」より抜粋
今まではサラダとしてレタスを食べることが多かったのですが、近頃は炒めたりスープにしたりして、その新たな魅力に気付きかけていたところでした。
というわけで、簡単に紹介を。
◼︎ツナとレタスのごま油炒め
◼︎ツナとレタスのサラダパスタ
◼︎レタス焼うどん
と、他にも挙げればキリがないくらい、最近はレタスに頼りっぱなしでした。
そんなレタスも、夏がやってくると値段が高騰してしまいます。
ただ、100円値上がりしたところで──その尊さには変わりがないのでは…? と思い始めてきました。
今年の夏は、レタスとともに。
レタス・ダンス・レタス。





