potepote(Takehito Kimura)のブログ

potepote(Takehito Kimura)のブログ

Takehito Kimura(木村 健人)のブログです。

Amebaでブログを始めよう!
私は、まだ日本でFacebookが流行る前、2007年頃からのユーザーで、これまで
様々な用途に活用してきました。中でも、遠く離れた人々との交流や、ふとした
タイミングで仕事を個人的に頼まれたり等、非常に有益なツールだという気持ちは
今でも変わりありません。

しかし、そんなメリットと同時に、

「Facebookに疲れた、つらい」

といった声もちらほら聞こえてくるのも確かです。
かくいう私自身も、ここにきて「Facebook疲れ」を認識し、一つの行動を実行
しました。

・スマホからFacebookアプリを削除

このいわゆる「プチ断食」という様な措置を取って1週間程経ち、少し気持ちが
楽になり始めている気がします。完全に退会してしまうと、仕事やプライベートで
参加するイベントの連絡網が使えなくなる為、Messengerアプリは残しています。
少し前からFacebook内の機能だったMessangerが独立して賛否両論でありましたが、
今回の私にはとても功を奏しました。

それにしても、なんでこの様に疲れたりするのでしょうか?おそらく私のFacebook
友達は、
「まさか、あなたが疲れたなんて思えない!あんなに充実してたのに!」
という印象かもしれませんね。Facebook上でネガティブな内容は基本的にアップ
しませんし、それは当たり前でしょうけど。

さて、では本題、「Facebookが疲れる」ことの原因は何でしょうか?
一般的な物も含め、以下、挙げてみました;

・友達達のハッピーな記事ばかりを見ていると、自分はそれに比べて何とつまらない
 人生だろうかと思い知らされる

・数十年ぶりに出会って繋がったとしても、そもそも自然に途切れていた関係なので、
 また活発に復活する可能性はゼロではないが低い。そうなると、どちらかの期待値が
 折り合わなかったり、どちらかの抱えていたその人物とのトラウマ等が解消されない
 まま中途半端に繋がっているという状態に陥りかねない

・SNS以前では、基本的にはリアルに顔を日常で合わせている限られた人々とのコミュニケーションで、
 いわゆる「マズローの欲求」で言うところの「社会的欲求(グループを組みたい、人と繋がり
 たい)」「尊厳欲求(他人から認められたい)」を満たしたいと思っていたところ、SNS
 の普及により、誰でも自分の活動や考えを瞬時に多数の他人に紹介出来る様になった。その結果、
 それらの欲求が満たされたかの様な錯覚に陥るものの、実のところ、その記事が後に話題に
 されることは、基本的には「リアルに面と向かって会う人」とでなければありえない。
 そして更には、リアルに面と向かって会う人とでさえ、そのヴァーチャル上での記事の話題は
 わざわざしないことも多い。そうなると、あの場所で投稿してもらった「いいね」やコメントは
 何の意味があったのだろうか?という気持ちも生まれかねない。

・Facebookで中途半端に繋がっていて近況も知ってしまう結果、Facebookが無かったら
 定期的に会っていたであろう人間関係も、わざわざ会わない状況に陥りかねない。そもそも
 人間関係って何なのだろうか。近況を知っているから会う必要も無く、気がついたら死ぬ
 まで会うことも無いという状況になったら、その人とは友達だったと言えるだろうか?

~以上、挙げてみましたが、まだあるかもしれませんね。皆さんがどうお考えかも知りたいです。

今思うことは、リアルな人間関係の延長線上の便利なツールとして(いろいろなリアルな活動の
連絡網やファイル送信等)使い続けたいけど、日常生活の出来事を紹介する使い方は少し控えようと
いうところです。もう少し自分の中でバランスが取れるまでは、パソコンからログインしないと
見られないという状況を続けてみます。

リアルな人間関係の構築とSNS、このバランス良い関わり方がきっとあるはずなので!