満席 ありがとうございます。
こんにちは。
京都の着付け教室 きものシャン 講師の原です。
本日は、琉球絣のお話を少し。
木綿の琉球絣なんてあるの!? という知り合いの着付け講師の先生からの驚きの声があったので、そこにフォーカスして書いてみようと思います。
琉球絣の定義
琉球絣とは、その名の通り沖縄県で作られている絣織物です。
沖縄特有の紋様を織り出した織物の総称として使われる場合もありますが、アイテムとしては、昭和58年に、通産大臣指定「伝統的工芸品」となったもののことを指します。
琉球絣について
● 技術・技法
1次の技術又は技法により製織されたかすり織物とすること。
(1)先染めの平織りとすること。
(2)よこ糸の打ち込みには、「手投杼」を用いること。
2かすり糸の染色法は、「絵図」、「真芯」、「手くくり」又は「手摺り込み」によること。
● 原材料
使用する糸は、生糸、玉糸、真綿のつむぎ糸、綿糸又は麻糸とすること。
✔︎注↑こちらは過去に南風原町にて開催中された画像のチラシです。現在開催中のものではありません
那覇市のすぐ隣なので、アクセスがよく、観光で織元や組合を訪れることもしやすいです^^
南風原町の最新情報はこちらから♪
現在は、この南風原町で生産される絣織物のことを「琉球絣」と言う、ということを覚えておいてください。
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南風原では、着物以外にもショール、帯、また木綿の細帯であるミンサーなども作られています。そして、琉球絣だけでなく、南風原花織という織物もあり、こちらも伝統的工芸品の指定を受けています。
(2017年撮影 帯を織っているところ。ステキな丸正織物さんの工房にて)
沖縄県における伝統的工芸品は、琉球絣以外にも 宮古上布、八重山上布、久米島紬、首里織等などが指定を受けていますが、ほかの地域の染織が希少な工芸品という性格が強いのに対して、琉球絣については、分業制を取っており、生産量は多いです。
呉服屋では、南風原産のものがなければ沖縄染織の展示会は成り立たないといわれるほど。
県内では、かりゆしウェアや祭事の衣装などに使われますし、日本本島の着物ユーザーにも根強い人気。生産反数が多いということは、ずばり需要がある、ということですからね。
絣の種類や色のバリエーションが豊富なことも特徴です。
画像は、ジンダマー(銭玉)と呼ばれる柄で、人気が高いです。
琉球絣は正絹がメインではなかった
この琉球絣、現代では、絹製品として日本本土で主に普及していますが、もともとは久留米絣などのように木綿絣のひとつとして知られており、ウールで織られた時代もあり、南風原以外の地域でも生産されていました。
また昔は流通の過程でいろんな名前で呼ばれていたため、琉球絣というもの=いまの南風原町産のものというわけではありません。
絹でないとニセモノ!なんていう人も居なくはないので、ここはまず理解してほしいです。
戦前ではかなりの量を作っていた時期があり、全体では最盛期に万単位にも上ったそうです。
つまり、沖縄県ならではの限定的な織物というよりは、さまざまな日本列島の絣織物のなかのひとつという位置付けでした。
そして、ほかの絣織物がそうであったように、メインの素材は木綿でした。
大変詳しい内容で、一家に一冊ほしいこちらの、日本の伝統染織事典のなかにも、琉球絣について「木綿絣だが、いまは絹絣が主流になっている。」と記載があります。
そういう意味では、いまの琉球絣は、南風原絣とネーミングした方が良さそうにも思いますが、なかなかそうはいかない理由があります。
その理由を含め、南風原町の歴史を見てゆきたいと思います。
参考文献①
琉球絣の歴史背景
絣の技術は、インドから東南アジアを経由して、琉球王朝時代に伝えられたと言われています。これが日本に伝わる絣の技術の源流が琉球であるといわれる所以ですが、なんとなくワンルートだけだったというのも海に囲まれた国である日本人としては不思議に感じるので、ある程度は同時多発に近い形で伝わってきた、または開発が進んでいたのではないかとも思います。
17世紀に入ってから沖縄でも木綿栽培がはじまり、明治以降、南風原のエリアは織物の産地として栄えたそうです。もともとは別の国であった琉球が日本に組み込まれたため、日本本土に向けて出荷するべく、着物(琉装ではなく日本向けの着物)の産地としてさらに生産量をあげてゆきます。
これらの絣は主に南風原町だけでなく、那覇市小禄、泊、垣花、糸満市、などの地域でも生産されていました。
南風原町は、布市場のある那覇のすぐ近くであることが利点となり、絣技術とその生産を向上させていきます。
しかしながら、太平洋戦争で大きな被害をうけ、戦後に地域では土地を没収されるなどの悲劇が起きます。
そのなかで現代に織物産地として残ったのが今の南風原町です。
戦後の経済復興により、生産がまた盛んになりました。沖縄のさまざまな地域の織の技術を吸収して、沖縄の風味をわかりやすく消費者に伝えることのできる、織物の代表選手となります。
こうやって見ると、やはり南風原絣ではなく、琉球絣と総称するようなネーミングが理にかなっているように感じますね。
沖縄の日本復帰が1972年、沖縄海洋博が1975年です。この同時代に伝統的工芸品産業の振興に関する法律が制定されます。
1977年には、南風原町は「琉球かすりの里」宣言を発表し、1980年に琉球かすり会館を建設。そして、「琉球絣」として、1983年に伝統的工芸品の指定を受けています。
木綿の琉球絣
夏の着物にぴったりの、張りがあって涼しく気持ちの良い織物です。
私個人的な感想ですが、透け感はほとんどないので、季節的には6月の梅雨の暑い時期から真夏、9月の残暑あたりまで不自然でなく着用できます。
沖縄県の織物は、工芸品として重宝される性格上、また地理的にも運送コストがかかるせいか付加価値がつく絹織物のほうが日本本土では受け入れられやすいのかもしれません。
しかし、この木綿の琉球絣も個人的にはとても需要のあるものなのではと思います。
とくに近年ではゲリラ豪雨や気温の上昇などもありますし、雨や汗を気にする着物ユーザーが増えていますしね。
家庭であられる木綿着物は、やはり人気が高いです。
でもネットで検索してもなかなか出で来ないのですよね。
あとやはり、手織りということもあり木綿のわりにはお値段はするものなので、そこまでして欲しくないというか、それなら正絹にしようとか、まあいろいろ消費者としての判断はあるかもしれません。
しかし、沖縄に行くことがあれば出会う率は高いので、現地でぜひチェックしてみてください。
少なくとも沖縄県外で買うよりはリーズナブルに、数はないけれど選べるかなと思います。
木綿の琉球絣に出会える那覇のお店をひとつご紹介します。
琉球絣に出会えるスポット♪
よへな商店
那覇市牧志3-3-7
098-863-2832
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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