少し前になりますが、上田紬の研修で、
産地へ行ってきました。
上田駅へ出迎えに来て下さったのは、
現在八件しか残っていない上田紬の作家、
小山憲市先生ご自身。
そこから、工房までは車で十分ほどでした。
江戸時代には、結城・大島と並んで、
三大紬の一つと言われるほど人気があった上田紬には
結城紬のようにその定義がはっきりあるわけではなく
作り手作り手で、
全く違うものになると言う事でしたので、
上田紬と言うよりも、
小山先生の紬と考えた方が良いのかもしれません。
現在、還暦を迎えようかと言うお年頃の先生ですが、
実は、
ご実家が七代続いた染物屋さんだったそうです。
つまり、当店の前身と同じと言う事です。
そこで、物造りに挑戦した先生も、
天の川をモチーフに作成した
「光のしずく」という作品を、
三十五歳の時全日本新人染織展出品し、
それが、入賞しなかったなら、
この仕事をあきらめようと思っていたそうです。
幸いにも、その作品が入選したお蔭で、
今、私たちは、
先生の作品に出合うことが出来るわけですが、
先生は、
作品作りのすべての工程をお一人で取り組まれます。
糸作りだけは、人に頼まれるそうですが、
それも、大変こだわりがあり、
たくさんの注文を付けて
作り手と相談しながら作っていくそうです。
そして、作品作りの始まりは、
出来上がりを描くところから始まり、
それを作るのに必要な色・糸質を考え
それに合わせて糸を精錬し染め、
織っていく訳です。
必要な色を作るためには草木染・化学染料を問わず、
それぞれの良さを生かしていきます。
また、焼けなどにも強いよう、
堅牢度三級以上の糸しか使わないそうです。
何より印象的だったのは、実際に私たちの前で、
栗のイガの煮汁で染めて見せて下さった時の糸を
優しく染めておられる様子でした。
この先生は、本当にこのお仕事が好きなのだなあ
と伝わって来るようでした。
伺ったのは、六月でしたから気候も良い時ですが、
寒い冬にはつらい作業もたくさんあると思います。
でも、ご自身が納得のいく色が出るまでは、
諦めることなく、糸を傷ませないように優しく優しく
染めて行かれるのだと思います。
そうやって染めた糸を望む風合いが出るように、
生糸や真綿糸、
精錬の進んだ糸や進んでない糸を組み合わせ、
その色も多い時には、経糸に四十色以上使って、
作りたい作品を設計していかれます。
先生のお話によりますと、
作品作りの八割の労力を織りだす前に
かけるそうです。
こんな所を、是非、
お客様にもご覧いただきたいと思いました。
ただ、この様な時間を作っていただくと、
確実に先生のお仕事のスピードも落ちます。
先生も、一人でも多くの方に、理解していただき、
ご自身のファンになっていただきたいとは
思っておられるのですが、
そればかりをしてはいられません。
かと言って、
行っていただいたら何かおひとつ
お求めいただきたいと申し上げますと、
ご覧にはなられたいけれど、
購入が前提ですと怖くて行けない・・・
となります。
小山先生はまだまだこれから先も
元気にお仕事を続けて下さるでしょうけど、
この方が亡くなったら最後
と言う技術がたくさんありますから。
また、小山先生がお元気でも、
この糸は、
これが最後と言うものも増えてきています。
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