どもどもキムです。
キムの父が亡くなって4日が経ちました。
なので、忘れないうちに心境を書いておきまーす。
亡くなる時、偶然にも病院から1時間の場所にいたので、
亡くなってすぐに駆けつけることが出来ました。
まだ温かい父の体。
そこに父の魂はいないけれど、
その父の肉体への感謝、愛しさが溢れて来ました。
今までね、そんなに父と触れ合うことはなかったけど、
ここぞとばかりに、
顔をペタペタと触ったり、
足をモミモミしたり、
手をスリスリしたり、
最後は髪の毛を抜いてみたり(笑)
「今まで本当にありがとう」と涙がホロホロと溢れました。
うちの父は愛情表現は全くしない人だった。
でも、
子供の頃から「親に愛されてないんじゃないか?」
なんて1度も疑ったことなどなかった。
だから両親からの愛はずっと当たり前のように生きて来たんだと思います。
木村家は変わった家庭だったと思います。
「おはよう」とか「行ってきます」とか、
挨拶みたいなものは全然ないし、
お誕生日をお祝いするとか、
クリスマスとかも全然ないし、
「ありがとう」とか「ごめんなさい」とかも全くなかった。
中学くらいからほとんど親と会話をすることがなくなって、
兄とも会話することもなくて、
一緒に住んでるし、仲が悪いわけではないけど、
仲が言い訳でもない。
でも、大人になって、ある尊敬するおばちゃんと出会って、
その人がいつもいつも親の有り難みを教えてくれた。
最初はピンと来なかったけど、
何度も何度も話を聞くうちに、
「あ、そっか。親がしてくれて来たことって有難いんだな」
ってやっと腑に落ちた時があった。
それまでは、ずっと親がしてくれることは全部当たり前だった。
そこで、両親に
「生んでくれて、育ててくれて、今までありがとう」
と伝えてみようと思った。
28歳くらいかなぁ。。。
でも、なんせ木村家は「ありがとう」がない家庭。
だからなかなか言い出せなくて、
結局手紙に書いた。
「生んでくれて、育ててくれてありがとう。感謝してます」ってね。
それを直接渡せないから、両親の枕元においておいた。
父はいつまで経っても無反応。
結局最後までノーリアクション。
母は「あんた何よ、あの手紙(笑)」
と言ったきり、
やっぱり「手紙ありがとう」なんて言葉はなかった。
それが木村家っぽい。
僕はそれで良かった。
僕に親の大切さを教えてくれたおばちゃんは、
泣いて喜んでくれた。
そこから親との関係は激変した。
どんどん会話が生まれたし、
今までだったら、
「剛士!早く車どかしなさいよ!何であんな所に停めるの!」
だった口調が、
「剛士〜。悪いけど車どかしてくれる?」
に変わった。
父は中卒だけど、タクシーの運ちゃんから始まり、
雀荘、シャッター屋、になり、
そこから内装屋、そして建築業を営むようになって行った。
大工仕事も設計も、現場監督すら出来ない父が建築業で、
どんどん会社も大きくなって行ったのは、
悪意が全くないし、こだわりも全然ない、
単純な人柄のおかげだと思う。
最後は仕事をもらっていた会社が不渡りを出して、
8億円もの負債を抱えて倒産した。
能天気で何も深く考えない父が
悩んだり落ち込んでるのを見たのはあれが初めてかな。
それは会社を潰したことよりも、
周りの関係者に迷惑をかけてしまった責任からの苦しみだった。
夜逃げ半分で家を出て、
両親が住む小さなアパートに荷物を運ぶのを手伝った時、
「ありがとな。お前がいてくれて助かったよ」
と生まれて初めて父から「ありがとう」という言葉をもらった。
何だか嬉しくて、倒産して良かったなと思ったくらい(笑)
愛情表現が全くない父は、
どんなに可愛い赤ちゃんがいようが、
どんなに可愛い子犬がいようが無反応だった。
だけど、結婚して初孫のネネが生まれた途端に、
「ネネちゅあああん!!!」とデレデレ。
あまりに気持ち悪さにドン引きしたが、
やっぱりそれはそれでとっても嬉しかった。
父から電話なんてかかってくることは全くなかったのに、
ちょくちょく
「ネネは元気か?」
なんて電話がかかって来たし、
喋れもしないネネの声が聞きたくて、
「ネネに変わってくれ」
なんて言ってた(笑)
2歳のネネに
「ジージ嫌い!」と言われ、
倒産以来で本気で落ち込んでた(笑)
小豆島に住んでいる時は、毎回13時間もかけて孫に会いに来て、
心臓が弱って、体が限界を迎えても、
ついこの前まで父はせっせと自分で運転し東京から長野まで車で孫に会いに来てた。
もう一緒に遊ぶ体力もなかったけど、
それでも父は孫に会いに来てた。
「ネネは歌も踊りもうまいから、将来は歌手になれるな!」
「風太は体力もあるし、頭がいいから、将来はプロゴルファーになれるな」
そんな事を本気で言っていた。
父に孫と合わせることが出来たこと。
本当に心からの喜びでしかない。
大切な子どもたちを、自分以上に愛してくれた事、
本当に感謝しかない。
1年くらい前、
東京で仕事があった時、両親が住む家に泊まりに行った。
夜中の1時に町田駅まで車で迎えに来てくれた両親。
家に着いて、隣の部屋で両親がたわいもない話を
している時、
不意に両親への愛しさと感謝が溢れて来て、
涙が止まらなくなった事があった。
あの時、
親との関係の中で、何かが完結したんだと思う。
今思えば、
あの瞬間の、あの涙があったから、
今も悲しみも寂しさもないのかもしれない。
そう。
今も、まだ悲しみも寂しさも感じてない。
もしかしたら、どこかフタをしてるのかもしれないけど、別にそれはどちらでもいい。
この先、悲しくなるかもしれないし、
悲しくならないかもしれない。
うん。
どちらでも良い。
今は父がいなくなったというより、
父がどこにでもいるような感覚。
今までは父を想うことはほとんどなかったけど、
さすがに最近は良く父を想う。
するとすぐそばに父がいる。
そして安心する。
そんな感じです。
それが今の感覚。
忘れないように書いておきました。
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