アンニョンハセヨ、韓国料理家キムチ王子です。
親の愛と温もりは、親の元を離れてから気づくことが多いと思います。
さらに親が亡くなってからは親に対して自分がやってきたことに後悔する時があります。
日本に来ることを決めたその年(2000年)、事故により突然父が亡くなりました。
それから4か月後僕は来日しました。
一人外国での生活は、想像以上の寂しさが待っていました。
不眠症になり、日が昇るまで眠れない日が続きました。
そして毎日のように父の夢をみました。
僕には、父と叶えなかった細やかな夢がありました
それは、父と一緒にお酒を飲むことでした。
父の若い時の事や母との出会いから僕ら兄弟が大きくなるまでの話を男同士で話ししてみたかったです。
27歳になったある日、もう父と酒を飲んでも大丈夫だろうと思っていた時、父は亡くなりました。
父と叶えなかったその夢を先日叶えました。
今日はその話をさせていただきます。
大手食品会社の顧問の知人と四国分寺のポンナムと言う店に行きました。
ポンナムって!?
韓国料理屋でカタカナで書いてあるのは韓国語だろうと思いましたが、こんな言葉あったけ?と思いました。
その謎はすぐ解けました。
ポンナムは韓国の벚나무(ボッナム)、桜の木でした。
日本の韓国食文化の大家のありながらキムチ博士と呼ばれる鄭大聲(チョン・デソン)先生は滋賀県立大学の名誉教授でもあります。
先生の本を読んでから大ファンになり、絶対会いたい!と思っていたので、とてもワクワクしました。
お店についてしばらくすると先生がいらっしゃいました。
挨拶をして、まずみんなで乾杯をしました。

左からポンナムのママさんとキムチ王子、チョン・デソン先生、知人のMさんです。
先生が好きなチョッパルをおつまみで先生の伝説を耳にしました。
一番驚いたのはモランボンの焼肉のタレ「ジャン」を先生が作ったことでした。
佐賀大学での焼肉授業の事と叙々苑とのことなどとても面白い話でした。
突然歳を聞かれまして、1973年と答えると先生は「私より40歳若いね。」と言いました。
先生は1933年生まれです。
父より一歳上になります。
父がまだ生きていたら同じ姿だろうと思うと胸がアツくなりました。
先生が自分の父のように感じました。
父と叶えなかった夢を先生と叶えようと思ったら感情が高ぶり、先生にお酒を注ぐ時は涙が溢れそうでした。

大好きなアジの刺身が目の前にありましたが、食べることができなかったです。
ビールから始めて、マッコリを3本飲むまで美味しい料理には出が出なかったです。

(牛筋チゲ)
最後ユッケジャンとビビンバを頼んで先生と一緒に食べました。

韓国料理とキムチの凄さを日本に広めてきた先生との出会いは、これからの人生の宝物です。
韓国料理の良さと歴史をもっと沢山に人々に伝えられるように頑張ろうと思いました。
最後先生のサイン入りの本(ヘルシー・キムチ こんなに効く秘密)を頂いて写真を撮りました。

ご縁に感謝しております。
*追伸:先生の本「ヘルシー・キムチ こんなに効く秘密」を僕にプレゼントして先生との出会いを叶えてくれた知人に感謝の気持ちでいっぱいです。
ご紹介ありがとうございました。
「コリアン酒家 ポンナム」
住所:東京都国分寺市西恋ヶ窪2-6-6
電話:042-322-5590
営業:17:30~24:00(月~金)、17:00~23:00(土、祝)
定休:日曜日
いつも応援のクリックありがとうございます。

にほんブログ村
所沢でキムチ王子