二〇二五年十一月三十日 NO・五二―三五 聖 書 日 課
礼 拝 次 第 待降節第一主日 (日)エズラ 十章 (月)ネヘミヤ 一章
司会 小 村師(火) 〃 二章 (水) 〃 三章
奏楽 内 間姉(木) 〃 四章 (金) 〃 五章
招詞祈祷 エゼキエル三七章二七~二八節(土) 〃 六章
頌 栄 聖 歌三八四番 (お知 ら せ)
信仰告白 使徒信条 ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃 美 讃美歌 二四番 ◎四日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り ◎本日は、竹田広志師をお招きしての礼拝です。
交 読 文 詩 編 六一編 ◎次週は、大掃除を予定しています。
讃 美 讃美歌 九四番 ◎今日から待降節(アドヴェント)です。
献 金 感謝の祈り 堅田姉 ◎礼拝動画はこちら
讃 美 聖 歌一一八番
説 教 マタイ八章一~四節 竹田師 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、
讃 美 聖 歌七〇一番 「私は望む。清くなれ」と言われると、
祈 祷 坂本兄 たちまち規定の病は清められた。
頌栄祝祷 聖 歌三八三番 マタイ八章三節
私は望む 清くなれ 竹田広志
私たちの人生において、「病」に罹るということは、大きな試練です。重い病を患ってしまいますと、ただ痛みに耐えなければならず、何もできなくなってしまいます。「健康」であることの有難さを深く感じる時でもあります。イエスはその生涯の中で、多くの病の中にある人々を癒し、悪霊につかれた人を解放されました。イエスは言葉だけではなく、私たちの人生に力ある業を行われるお方です。イエスは、今、私たちに「癒し」と「解放」を与えて下さいます。
イエスの時代に、最も社会的偏見の下に置かれていた病は「既定の病」でした。レビ記13~14章にその規定があります。「自分は穢れた者です」と叫んで自分の周りに人が来ないようにしなければならない。社会的に隔離された生活を強いられ、穢れの故に人や町に近づいてはならず、その人に触れてはならないというとんでもない烙印がこの病には押されていました。群衆の中から、イエスの前にこの規定の病の者が現れます。彼はひれ伏して「主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります。」と言います。イエスは、規定では触れてはならないとされていた彼の身体に優しく、愛情をもって手を差し伸べ触れるのです。「私は望む。清くなれ」。イエスは彼に触れ、その穢れを清められます。
既定の病は決して穢れた病気ではありません。人を穢し、肉親を引き離し、友人を失い、人々を遠ざけるのは、私達の内にある罪、穢れではないでしょうか。淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ(ガラテヤ5章19~21節)。これらの罪は私達の内側を腐らせていき、社会をも腐らせていきます。そして、それは、ついに人を永遠の死に至らせます。確実に死に至らせる恐ろしい病いとは、私たちの内にある罪です。
あなたの罪は清められましたか。あなたの人生と、将来を蝕む、あなたの内にある罪の解決はできていますか。私たちの罪・穢れを清める医者は、イエスただお一人です。他には誰もいません。私たちの罪を担って、十字架で釘を打たれ、尊い血潮を流された聖いそのイエスの御手は、あなたの罪と穢れを清めます。今日イエスに触れていただき、清めていただきましょう。「私は望む。清くなれ」。