二〇二五年十一月九日 NO・五二―三二 聖 書 日 課
礼 拝 次 第 (日)歴代誌下 二五章 (月) 〃 二六章
司会 松 田兄(火) 〃 二七章 (水) 〃 二八章
奏楽 内 間姉(木) 〃 二九章 (金) 〃 三十章
招詞祈祷 イザヤ十一章三~四節 (土) 〃 三一章
頌 栄 聖 歌三八四番 (お知 ら せ)
信仰告白 使徒信条 ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃 美 讃美歌 二一番 ◎十三日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り ◎本日は聖餐の恵みに与りました。
交 読 文 詩 編 五八編 ◎礼拝動画 こちら
讃 美 讃美歌二四三番
献 金 感謝の祈り みつ子師
讃 美 聖 歌一一八番 イエスはこう言ってお帰しになった。
説 教 ルカ八章二六~三九節 「自分の家に帰って、
聖 餐 式 神があなたにしてくださったことを、
讃美祈祷 聖 歌五二〇番 坂本兄 ことごとく話しなさい。
頌栄祝祷 聖 歌三八三番 ルカ八章三八・三九節
見捨てない主イエス
「湖の向かう岸へ渡ろう」(22節)と言われたのは主イエスだが、着いたのは「ゲラサ人の地方であった。そこはデカポリス(10都市の意)と呼ばれるギリシア的都市であり、住民の多くは異邦人であった。ルカでは、主イエスが初めて異教人の地に入られたことになる。
4章31~37節にも悪霊に取りつかれた人の癒しが記されているが、かなり異なる内容である。そこでは、悪霊の言うことを聞かれず即座に追い出されたが、ここでは会話をし、悪霊の願いを許可しておられる。「悪霊」と訳される語は、元々「神々」や「超人」の意味を持っており、恐れられていたので、人々はその人を市街の外に出し、鎖や足枷をはめて監視していた(29節)。しかしこの男に取りついていた悪霊は、レギオン(ローマの軍団六千人程)と名乗るほど強力で、束縛・監視ができない状態であった。
悪霊は、人間よりも賢く、イエスが誰であるかを知っている―—いと高き神の子イエスと呼ぶ―—。相手の名前を知ることは、その力を抑えることができると考えられていたので、悪霊は、唱えたと思われる。逆に主イエスは名前を聞かれた。知らなかったからではなく、正体を明かせる権威をお持ちであることを示すためである。悪霊はその命令に従う以外になかった。悪霊は二つのことを願う。①「底なしの淵」に行かせないように。「底なしの淵」は、悪霊たちが閉じ込められて出てこれない所である。②豚の群れの中に入らせてほしい。なぜ主イエスは、悪霊が豚の群れに入るのを許されたのか? それは大きな損害を与えるのに。事実、町の人々が、主イエスに出て行ってもらいたいという願いの根拠となった。
これまでも主イエスは、罪人や徴税人の仲間となられたが、ここでは社会から疎外され見捨てられた人を見捨てることなく救われた。人間の手に負えない人と見える人も、主イエスは見捨てず救うことができることをこの出来事は私たちに示す。だから教会とキリスト者は、どんな人も見捨てたりしない。
癒されたこの人は、お供したいと願うが、主イエスは郷里に留まることを命じられる。それはこの人にとって決して容易な歩みではない。しかし悪霊から解放され癒された事実は、この人にとって失せることのない感謝と喜びであり続けたろう。そして彼は異邦人の地で最初のキリストの証人となった。