最近耳にした、種の話を元に記事を書いてみたいと思います。
桜の種を植えればそこから、桜の花が咲く。梅の種を植えれば梅の花が咲く。
当たり前といえば、当たり前のことですが、これを別の例で考えてみます。
イエス様は人生のある時点において、メシヤとなったのではなく、馬小屋で生まれたその瞬間、もうすでにメシヤとしての人生が決定付けられていました。
これは文先生においても同様で、16歳にイエス様の召命を受ける前、地上に生まれたその時から、メシヤとしての使命が決まっていたということです。
桜の種を植えれば、桜の花が咲く。梅の種を植えれば、梅の花が咲く。
政治家の種を植えれば、政治家としての花が咲き、実がみのる。事業家としての種を植えれば、事業家としての花が咲き、実がみのる。
これはあくまでも例え話ですが、私たちがどんな種を植えるかで、私たちの将来は決まってしまうということですね。
ですから、幸せになるためには、幸せになるための良い原因づくりが大切ですし、幸せの種を今から蒔くことが大切ですね。
時が貴重である。春に種を蒔かなければならないのに、秋に蒔けば、冬が過ぎるまでの苦痛を受けなければならない。(~御旨の道~186 復帰・復帰の心情)
勝敗の決定の場は現在にある。(~御旨の道~193 復帰・復帰の心情)
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