私を通して働く神様 | 信仰生活は感謝と喜び!

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訪問ありがとうございます。統一教の信仰を持っている青年です。感謝と喜びの生活をしながら感じる内容を記した日記です。
感謝、信仰、書籍の紹介、統一教会員の拉致監禁問題、自身の祝福結婚の証し、統一原理、文鮮明師自叙伝、など幅広く取り上げています。

私自身はあまり霊的な感性が鋭い方ではなく、むしろ鈍感でどちらかというと現実的なタイプです。


ですから霊的な体験も少なければ、夢を見てもほとんど100パーセント忘れてしまいますし、いつも神様を感じているかというとそうでもありません。こんなことを言うと笑ってしまいそうですね。


こんな私でも神様が働くと思うことが度々あります。こんな私にも神様が働くのだと思うことがあります。


特に一番働くのは、人と話す時です。特に一対一で話す時に感じます。とは言っても、いつもではなく時々です。


どちらかと言えば性格上、話すよりも人の話を聞く事の方が多いのですが、今日も人と話すなかで神様が私に働く感覚がありました。


人と話していると、その人を見つめる神様の思いや希望、願いなどがなんとなく伝わってくるのです。


神様は今の私を見て希望を感じているのではなく、5年10年先。私が大きく成長して、神様の生きた証し人となり、神様に似た愛の人格を成長させた私の姿に希望を持って、信頼して私を導いておられるのだと感じます。


神様の願いはただただ私が幸せになること、立派な家庭を築くこと、神ご自身の姿に似た愛の人格を完成させること。


親として私たち一人一人に期待したい、親なる神様のシンプルな想いが伝わってきます。ですから話していると、自然とこみあげてくるものがあったり、自分の言葉ではない言葉がふと出てきたりなど、不思議な体験をしました。


目の前の、その人を見つめる神様の想いを伝えていくならば、おのずと全ての悩みが小さなものに思え、私の未来に希望を持っておられる神様の願いに応えていきたい気持ちになっていく。


ちょっと大げさですが、今日は私を通して働く神様、その人を見つめる神様の想い、それは極めて部分的なものにしか過ぎないと思いますが、感じることが出来た一日でした。


神様の愛を感じると心が軽くなり、嬉しくなり、心は高揚し、表現に困りますが、とにかく楽しい心になります。


少し抽象的、感覚的でしたね。体のない神様は、私たちの体を通して働こうとされるのだと感じます。神様が少しでも働くことのできうる体、道具になれたならばどれだけ素晴らしいでしょうか。


普段から神様の臨在を感じる方にとっては、当たり前のことかもしれませんが、私に働く神様、私を通して働きたい神様なのだと感じました!



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