感謝と悔い改めという言葉があります。普段から悔い改めが習慣化している人にとっては、当然のことかもしれません。しかし、恥ずかしながら、私はなかなか悔い改められない人間です。
もちろん反省したり、自分の言動に対して後悔することは沢山ありますが、悔い改めるべきと分かっていても出来るものではないと自分自身考えています。
そもそも悔い改めとは何ですか?と言われると、説明が難しいですが、私なりの結論としては、天の願いに応える事が出来ていないことに対して、心から申し訳なく思うことかと解釈しています。
しかも、自然とそう思わされるという点において、天からの働きかけであり、悔い改められること自体が恩恵なのではないかと感じています。
最近、悔い改めることが度々ありますが、今日も悔い改めることがあり、普段の自らの在り方に対する申し訳なさが感じられて、後ろから叩かれたような衝撃を覚えました。
み旨に対して、今天から与えられている責任分担に対して、自分自身の姿勢が変わらなくてはいけないと思わされ、自分が変わらなければカイン側にいる人達を動かすことは出来ないと考えさせられました。
悔い改めはないけれど、物事に真剣に向かえていない時は何だか気分が悪く、悔い改めの時は苦しいですが、正されている分だけ安心感があります。
信仰生活は沢山の愛を感じたり、時には悔い改めたり、あらゆる場面で神様が臨在して下っている事に感謝です。

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兄弟の誕生日祝いのケーキ、今日は踊りませんでした(笑)

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