信仰生活をしながらも最近自分自身がどれだけ、神様の愛を実感し、周りの人にその恩恵を与えることのできている私であるかと考えさせられます。
今日は夜の祈祷会でみ言を与えられ、信仰者として最近神様の愛を本当の意味で実感できていないことに気づきました。
み言を聞いた当初は必死に神様を求めるし、短期間でたくさんの神様を感じることが出来ましたが、最近はなかなか成長できていない自分に気づかされました。
いつも私の中にいらっしゃる神様をどれだけ感じて生活出来ているのか?信仰者として、あまりにも恥ずかしい自分自身だと悔い改めました。
体恤という言葉、あまり日常では使わない言葉ですが、信仰の道にいては大切な言葉ですね。意味としては、私たちの細胞一つ一つで感じることだと自分なりに解釈しております。
神様の愛を肌で感じて、体全体が神の愛に包まれた生活。という言葉を耳にして、自分自身を正そうと思いました。
天暦の下半期が始まりました。決意を新たにがんばります!神様の愛を体恤しておられたイエス様のみ言です。
私を見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいというのか。(ヨハネ14・9)

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