振り返れば全てが愛であった
文先生が荒野40年路程を終えられる時に語られたとか、有名なみ言ですね。
最愛の子女様を失い、自らも愛したものに裏切られ、何度も監獄に入りながらも全てを愛で昇華してこられた先生の人生は傍目に見たら不幸の連続かもしれません
全てを感謝で越えて、本心から出た言葉なのでしょう。
私たちの信仰路程もなかなか理解できない環境があったり、厳しい試練の連続だったり、全てを否定したくなることもあるかもしれません。
あながたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。(マタイ福音書7章9~10)
親なる神様を信じるが故に、神様は愛を動機として私たちに必要な環境や訓練を与えて下さっていると思えば、今ある環境が本当に感謝だと思います。
今日は先輩教会員の講話を聴きました。自分の為に生きる人生ほどむなしいことはないとおっしゃっておられ、他の為に、そして神様の為に生きることほど素晴らしいことはないと熱く語っておられました。
振り返れば全てが愛であった。その境地には程遠いですが、神様と共に一つ一つを刻んでいきたいと思わされました。
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