公的立場と私的立場 | 信仰生活は感謝と喜び!

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訪問ありがとうございます。統一教の信仰を持っている青年です。感謝と喜びの生活をしながら感じる内容を記した日記です。
感謝、信仰、書籍の紹介、統一教会員の拉致監禁問題、自身の祝福結婚の証し、統一原理、文鮮明師自叙伝、など幅広く取り上げています。

昨日教会で受けたみ言の中で、印象に残ったことが「公的」と「私的」ということです。


私たちの毎日の生活が、公的な立場、公的な精神で歩むことが出来ているのかと自問自答する時に、とても恐ろしさを感じます。


私達はともすると、全体の為に歩んでいると思いながらも気付いたら、自己の安楽の為であったり、保身であったり、個人的な欲求だったり、存在意義を見出す為に、つまりは自分の為に歩んでしまうことも少なくないのではないでしょうか?


毎日の生活、食べる時も、休む時もどれだけ公的な立場で歩めているのか。純粋な動機で歩むことができているのかと思えば、自らを振り返っても恥ずかしいことが沢山あります。


昨日のみ言の内容では、公的な立場で歩むところには自ずと発展がありますが、私的に歩む場合には誰もが嫌がるし、そういう人とは関係を結ぼうとは思わないでしょうということでした。


「私達も正しいことをしているのだ」という傲慢な気持ちで、周りの人たちに接してしまうことが無きにしもあらずなのではないでしょうか?


まだまだ、社会から、周りの人から認められていない現状を見れば、公的な精神が足りないし、反対に私たちが為に生きる立場に立つならばどんな人からも、世の中から万民から受け入れられざるをないのではと感じます。


日本も国民が自分たちのことだけを考えるなら、自然と国は衰退していくし、世界の為に生きるのならば発展しようと思わなくても、発展していくのだと思わされます。


まだまだ、公的な立場に立ちきるのは容易ではありませんが、毎日の生活が公的な立場に立てるようにならねばと思わされました。


ブログを更新する目的も、自己満足に終わるのではなくて、より公的にということですね!より全体の為になる内容を日々目指したいと思います。


全体目的>個体目的、原理原則に沿った歩みを意識していきます。



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