昨日、「神様に出会いたい」という記事を書きましたが、今日共に歩む兄弟姉妹と瞑想の時間を持ちながら、神様から愛されてきたこと、これまでの神様との出会いに思いを馳せる時間を持ちました。
特に姉妹たちが涙を流して、過去に神様と出会った時のことを思い出して涙が溢れてきたり、生まれてからこれまで愛されてきたことに対する感謝の気持ちで涙したり、恩恵深い時間でありました。
忙しい毎日に追われたり、目の前のことに心を奪われてしまいますが、亨進世界会長おっしゃっているように、神様や真の父母様と霊的に出会う体験が大切なんだなと思わされます。
今日は瞑想の中で、少しだけイメージを膨らませました。若いころの先生が監獄で過ごされた時、そこで一緒に作業をし、僅かな食事を取り、生活を共にするその場面を想像しました。
すると先生が色々な言葉で慰労し、話しかけて下さる気がしました。まだまだ集中力と想像力が必要だなと思わされました。
訓練を続けていくと、「御父母様が抱きしめられている」感覚があったり、「御父母様の血が私たちに注がれて、生かされているのだ」ということを感じたという証しも聞きました。
実感と確信を持って、神様に出会いと思いますし、これまで私に生きて働いて下さった神様との出会いを忘れてはいけないと思います。
その為には、日々の精誠、祈祷や瞑想、訓読などを通して、もっと出会っていく事が必要だと思わされました。
信仰生活をしながら、試練や葛藤もありますが、全ては私たちの成長のために与えられていると思うと感謝の気持ちに変わります。
「足らぬこの身をいかにせん」幼い自分の姿にこのような気持ちになることもあります。天一国の国歌の一節が、心に響きます。日々前進を目指して頑張りたいと思います!
応援感謝です
にほんブログ村
←1クリックお願いします!