最近、苦労とか苦難という言葉にとても相対しています。「苦難を喜ぶ」というキーワードでネット検索をしたら、結構面白い記事が出て来ました。苦難を喜ぶ、苦労に感謝している人は結構いるのだなと思いました。
さて、苦難を喜ぶ信仰を持ったことで有名なのはパウロです。本当に苦労した人が、苦難に感謝することは難しいことだと思いますが、聖書の記録を見るとパウロは、様々な迫害で鞭打たれ、何度も船が難破し、耐えがたい苦難にあっても喜ぶことの出来た信仰は、常人では考えられないものだと思います。
最近、周りの人を見ていて思うのは、苦労している人を見て愛されている、期待されている、成長を願われているということです。
苦労している本人にとっては、それどころじゃないと言いたくなるでしょうが、悩んでいる人、葛藤している人を見ると、同情する気持ちと共に、愛されているなと神を感じてしまい、なぜか嬉しくなってしまう瞬間があります。
今ある苦労や嫌なことから目を背けるのではなくて、しっかりと向き合い越えていくことこそが、私自身を成長させていく貴い糧になるのだと思います。
そう思えば、私たちには何も恐れがなく、嘆くことがなく、全ての試練は私を成長させるための神の愛だと感じることができます。
成功している人は、必ずと言っていい程苦労し、努力し、時には失敗をしている。平坦な人生はつまらないですよね。裏をかえせば、悩みが全くない、失敗の全くない人がそれ以上向上するのは簡単ではないと思います。
ですから、今の自分自身に関しても、僅かですが苦労し、失敗し、悩みがあること自体が天からの賜物と思います。苦難においてこそ、ツイてる。といえる様な気持ちが大切ですね。
苦難に感謝できれば、もう恐れることはないですね。今ある環境も与えられたもの、全てに意味がある。今目の前の環境を勝利すれば、必ず神様に出会える。神様と共に今ある壁を乗り越えて、その先にある自分に希望を持って頑張りたいと思います。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである(ローマ人への手紙5章3~5)
よろしければ一昨日の記事もどうぞ。(苦労が私を成長させる/2010年8月19日)
興南(こうなん)高校おめでとう。
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