夏風邪をひきました。
京都の夏は、最低です。

夜もエアコンは必須、欠かせません。

タイマーをセットして、こまめにやりくりを
するような小賢しいタイプではありません。

頑固一徹、夏の夜は終始つけっぱなし。

もちろん我がことですから、
自分に合った絶妙の温度設定にはしているつもりです。

ときどき、日中の極暑に合わせて、
通常の温度より下げたの忘れることもあります。

快適な睡眠の途中、
「(寒い・・・)」
目が覚めます。

残念ながら、ぼくの場合は目が覚めるだけ。

一度、本気で寝てしまうと、
余程のことがない限りというか、余程のことがあったとしても、
起きることはないみたいです。

このときも、危険な匂いを、うっすらとした意識の中で
嗅ぎとってはおったのですが、リモコンに手を伸ばすことすら、
できませんでした。なす術なし、万策尽きるです。

朝目覚めたときには、
頭から足先までちんちんに冷え切った自分とご対面です。
場所が冬山だったら、
ヘリコプターが迎えにきてくれるレベルです。

奇跡的に微熱で事なきを得ましたけど、
微熱というのは、身体は常より重たく感じるし、
頭はぼーっとしますけど、つらいというよりは、
むしろ気持ちがいい方に針が振れているような気がします。

横になると、身体はいつもよりマットレスに深く
食い込む気がするし、次の動作に移るのに、
決めてから動き出すのに時間がかかりますから、
病んではいるのでしょうけど、やはり気持ちはいい。

気分がいいと、お酒を飲みに行きたくなります。

ノロノロと着替えを済ませ、ヨロヨロとふらつきながら、
ヨチヨチと河原町に到着しました。

普段より大人しめに最初のアルコールを口に含んだとき、
とりとめもなく、気がつきました。

微熱とほろ酔いは、よく似ていると。
そりゃ、心地よいはずです。

またひとつ賢くなって、気分よく杯を傾けつつ、
本の話題になりました。

43歳独身のおっさん、端的に暇人です。

始終暇を持て余していますから、
本を読んで人生の隙間を埋める作業に余念がありません。
もう本職は左官業と言っていいかもしれません。

皆さんも、それぞれご贔屓の作家がいるでしょう。
嗜好に合うわけですから、同じ作家の作品を何冊も
読むことになりますよね。

そうすると飽きたわけではありませんが、
この作家の作品とは、しばらく距離を置きたい。
そういうことって、ありませんか。

ぼくはあります。

同一の人間が紡ぐわけですから、
文章のクセ、物語の傾向、作風と言われるものがあって、
ぼくも無意識にそれを感じているみたいで、

花村萬月、白石一文、浅田次郎、重松清、池波正太郎、
佐伯泰英、伊坂幸太郎、

どの方も素晴らしい作品を書く人たちですけど、
現状、この人たちの書く文章の個性に酔ってしまい、
「これ以上、今は飲めない」
お酒でたとえるなら、こんな感じでしょうか。

そんな話をしながら、過日は微熱とほろ酔いの
クラクラを楽しんでいたのですが、

この界隈の話をすると、やはり、

「副隊長は飽きっぽい。だから、結婚できない」

かような短絡的な批判を浴びるハメになります。

ぼくも慣れました。そして、飽きました。

しかし、酔っていようが、病んでいようが、
生粋の英国紳士気質が損なわれるわけではありませんから、
声を荒げることもなく、落ち着いた声色で、
優しくさとすようにこう反論するようにしています。

「物心ついたときから、ずーっと阪神ファン」

 健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、
 富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、
 これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす

いちずでなければ、阪神ファンなど
やってられるわけがありません。

今年もつらい・・・でも、大好き。

最後に余談ですけど、
弱っているときに優しくされると、
優しくしてくれたひとのことがちょっと好きになります。

優しさが常より身に染み入るのは、ぼくも同じです。
でも、その好きはやっぱりニセモノ、まがいもの。
これでいいのだ。
少し前になるのですが、
友人が薦めていたのを思い出し、読みました。

京都が舞台のお話です。
作者の七月隆文さん、
もちろん、ぼくとは縁も所縁もない方です。

しかしながら、本を読み終えたあとの素直な感想は、
登場人物の「ぼく」は、ぼく副隊長の生き写し、
ぼくの生きざま、ひととなりをそっくりそのまま
カーボンコピーしたとしか思えない、

「ぼく=副隊長」、そう言い切って良いでしょう。

つまり、
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は、
副隊長の自伝的小説、そういうことになると思います。

自分ではない他人が、自分の自伝的小説を出版し、
本人の知らぬ間にひと儲けしていたとは・・・。

43年生きてると、いろいろなことが起こります。

もちろん、皆さんご承知のように、
心のだだっ広いぼくですから、
後付けでこのような事実を知ったところで、
権利関係云々についてゴネたりするつもりはありません。

気持ちよく公認、
副隊長オフィシャルの自伝的小説に認定です。

本来なら、
ぼくのこの主張がいかに一分の隙もなく的を射ているか、
内容を事細かに検証して、皆さんに証明したいところですが、
これから読むひともいらっしゃるやもしれませんから、
涙を呑んで自重しておきます。

ちなみに、同じ文脈のことを、
この話のあらすじを説明しながら友人に語ったところ、
激しい拒絶反応を示していたことを報告しておきたいと思います。

「このさき彼女との関係がどうなっても、ぼくは
 こんな心境があることを教えてくれた彼女に感謝するだろう」

そういうことだろ、ジャン。

ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)/七月 隆文

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「海難1890」という映画のCMがテレビでやっていました。
面白そうなので、映画館へ行こうと思いました。

念のためにと、youtubeで予告編を探しました。
3分ほどの予告編を観終わると、映画館へ行く気が失せました。

ティッシュが必要なほどの予告編の出来の良さに、
充分な満足感を感じてしまったからです。

過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。
孔子は、ほんまに上手いこと言いよります。

前戯と言うものは、難しい。
そう思った次第です。

「してあげたことは忘れなさい。
 でも、してもらったことは絶対に忘れてはいけません」

この至言に従うなら、
ぼくたち日本人は、
1985年イラン・テヘラン在留邦人救出事件の方を、
忘れてはいけないことになると思います。


書店に行こうと四条河原町を歩いていました。

加齢のせいか、一段と視力が悪くなったみたいで、
以前は車の運転と映画の字幕のみで良かったのですが、
最近では、そこにPCの操作と商店の陳列棚を物色する、

この二つが新しいトッピングに加わったみたいです。

この日は、本を探すという目的意識がはっきりしておったので、
眼鏡を標準装備したまま歩いていました。

京都は狭い街です。

頻繁にではありませんが、知り人に会うこともあります。
裸眼のときは、ほぼほぼぼくが先に見つけられるのですが、
このときは、ぼくが先に気が付きました。

このブログを以前より読んでいただいている方は、
ご存知かとは思いますが、
ぼく副隊長の数ある悪趣味のひとつに、尾行があります。

10代の頃、友人カッポゥが痴話ゲンカをしたという
情報を察知したときは、深夜のバス停のベンチに腰かけ
事態の収拾をはかるふたりを、後ろの繁みに隠れて
隊長とふたりで、ひたすら盗聴し続けるという
楽しい出来事がありました。

最低の人間です。

30代になる少し前、
翌日の彼女とのデートを楽しそうに語るたま隊員の声色に
白々しく相づちを打ちながら、事細かに行動予定を聞き出し、
朝7時から駐車場の前で張り込み、終日ふたりのデートを
隊長とふたりで車で追いかけまわす。
そんな楽しい出来事もありました。

最低の暇人です。

ちなみに、たま隊員は今でも女性との外出時には、
意味もなく後ろを振り返って確認してしまう、
こんな後遺症に悩まされているらしいです。

この話しを聞いて、笑い転げるぼくにたま隊員が放ったひと言、

「誰がこんな身体にしたと思ってるねん!」

名言だと思いました。

このように友人から言わせると悪癖、
ぼくから言わせたら伝統工芸、匠の技を持つ副隊長ですから、
珍しく自分から先に友人を見つけた場合、
当然、すぐに声をかけるのではなしに、
「まずは尾行から」、そういうことになりますし、
実際、そうなりました。

案の定、友人はぼくの知らないひとと合流したあと、
また歩き始めました。

もちろん、ぼくも目的の本屋など無視して、
今までの修羅場で培った尾行技術を駆使しながら
果敢な追跡を続けたのですが、結論から言いますと、
今回は、ブログなどには書いてはいけない、
墓場まで持って行かないとダメ。

かような捜査結果に落ちついた模様です。

みんな大人になりました。

「おまえも、大人になれ」

なんて、言っちゃダメです。

ぼくの持ち味がなくなるし、個性が死んでしまいます。