ただいま~からの、ファイト♪ | ここにしか咲かない花をこころに・・・生かされた命と共に

ここにしか咲かない花をこころに・・・生かされた命と共に

非典型ALSと名付けられたこれまで例を見ないと言われている運動ニューロン病。進行はおそいながらもなかなかやっかいな病気になっちゃいました。
でも、心まで病気なんかに負けたくない。
笑顔て未来に向かって、
今を精一杯生きたい!
頑張れ、私。

非常に長~い文になり、その上凄くネガティブなひとりごとです。
そーゆー意味で閲覧注意パー

もんのすごーく気が重い徳島大学病院の検査から、帰って来てま~す。
すでに帰ってから何日も経ってますが爆笑
翌日からいつも通り疲れと痛みが、
ドバーッ!と大放出(;^_^A

やっと少しずつ体調取り戻して………るはずニヤニヤ
余韻は残りまくりですけどね。

新しい相棒の新車ここ花号は確かに凄くお利口さんで高性能でしたが、いかんせん、まだユーザーがよく理解していない機能がたくさんアセアセ
「お~!こんな事が出来るがか?生意気や!」とか、「この音は何の音?さっきまでしてなかったぞ!」とか、「そーかー!このボタンは○○するためのやつか~」等々、お父ちゃんともいちいち「初めまして~」の道中爆笑

その上、出発前に一応ポジショニングはしたものの、これまでと使い勝手が違うので、それはそれで不便さもあったかな?
ポジショニングもあれこれ改善点が見つかりました。
ただ、仲良くなればいろんな場面で活躍してくれそうです照れ
第一かっけーし~♪
ガラ悪そ~な結構攻めてる雰囲気のスポーツタイプの車から、
派手な車いすのおばさんが、これまた攻めてるグラサングラサンかけて出て来たら、愉快でしょ?
もれなく(多分、実年齢より若く見える)お父ちゃんもついてくるしね!
ま、ただの自己満足だけどチュー

さて、病院には予定通り無事到着。
今回は、前回の教訓を生かし、食べ物でむせ込むことはほとんどありませんでした~♪
メニューも厳選し、危ないもんはお父ちゃんに「はい!ど~ぞ♡」と、愛の力で何とか凌ぎましたピンクハート

ただね~、
呼吸機能の検査や筋電図•針筋電図は予想通り、
苦しくて~痛くて~、やっぱり疲れ果てましたショボーン
肺活量計測し終わったら、
私の体力はほぼエンプティゲッソリ
ていうか、
やっぱり鼻つままれてトイレットペーパーの芯みたいなのをくわえただけで、
、ぐるじい~…滝汗

でも、定期的な検査でデータを残していくことは必要なんだろうと、
大人の私は自分に言い聞かせたのでありましたニヤニヤ
偉いっ拍手拍手拍手拍手拍手拍手
ま、後付けですけどチュー

肝心の検査結果なんですが、
なんというか…微妙…。

先生曰く、:(  )は私の心の声
呼吸機能が凄く落ちていて驚いたけど(え?やっぱりか~。どんだけ落ちてんの?数字やデータ見せて説明してもらえんかな~!)  呼吸筋までやられて命に関わるような落ち方ではないから(え!何見てそんな事が断言出来るの?それも分かるように丁寧に説明して~!)  心配しなくてもいいよ。(いやいや!そう言われても、呼吸機能低下してるならいろいろ気になるし、心配なんですけど…)
とまぁ、こんな感じニヤニヤ

とにかく、先生から言われた説明だけでは、
(え?先生!それは今の段階ではってこと?それともこれからも特別な事がない限り心配ないって事?
じゃあ、どうしてこんなに呼吸機能が急に悪くなってるわけ?)
って、単純に疑問??

でも、多分答えは先生にも分からないんだろうなぁ。
だって、「ここまで悪くなる原因に心当たりはな~い?」って尋ねられたくらいだからショボーン

去年の夏あたりに、ケアプランや生活環境が激変して、プラン作成に至るまでも相当な混乱。
プランが決定して、出入りするメンバーもたくさん変わり、1からの人間関係づくりはお互いに大変な労力だった。
新しく介入してくれる方々や事業所は、私に無理がかからないようにと配慮もしてくれたけど、やっぱり大仕事だったもん疲れない訳がない。
そして、関わる事業所や関係機関が多いと、全てにおいて共通認識や情報交換が難しくなり、皆が一生懸命やってるんだけど徹底出来なかったり、細かいことなんだけど解釈がまちまちだったりして、私にとってはストレスだった部分も確かにあった。
だから、そうした経緯があったことはざっくりとお父ちゃんが話してくれた。

しかし、そうした生活環境の変化が影響しているとしても、皆で折り合いつけながらプランも定着して、今やっと慣れて来たんだから……。
全ては必要性があってやってきたことや結果論であり、本当の原因なんて分からない。
私生活のことも絡んでくるし、ストレスから解放されるなんてまず無理な話でしょ?

大学病院の先生が、地域の厳しい介護環境や医療•福祉行政事情についてどれだけ理解してくれてるのか分からないけど、
「そうした様々なストレスが原因になってることは考えられるから、生活スタイルを見直してみるのも必要かも知れないね」ってざっくりとしたアドバイスしてくれた。
(だから~、そういうことがなかなか出来ない状況だから、皆でてんやわんやしながらやっとのことで今に至ってるんですけど…。でも、それを先生に申し上げてもどうしようもないよね~!先生は先生としての立ち位置からの客観的アドバイスしてくれたんだから…。)
とまあ、一応飲み込んだ笑い泣き
今回の旅で一番飲み込むのに苦労した滝汗
嚥下障害は食べ物だけに起きる現象じゃないんだなぁって、変な感心ニヤニヤ

せっかく遠路はるばる来たんだし、質問や聞きたい事はいっぱいあったけど、
疲れ果ててチーン…いつも以上に喋れない。端的な表現で上手く口から出てくれないショボーン
何とか話そうとしてはみたけど、先生には聞き取りにくくて、説明しようとしてもお父ちゃんの通訳が要る。その度にしんどさだけが増して行く。

(そもそも呼吸機能って、今どれだけ落ちているの?これ以上落とさないようにするためには、私は具体的に何をしたらいいの?)
そんな、喉まで出て来ている言葉や疑問は尋ねればきっとそれなりに答えてくれたろう。
でも私が頑張って声出さないと答えは返って来ない。
そんな事は分かってるけど、検査に身を任せているだけで精一杯。
ゆっくり話せる雰囲気の検査室内でもなかったし……ショボーン

筋電図•針筋電図、あと他にもいくつかやってみたけど、
結局は、
筋肉を動かすための神経はまだ生きてますよ!
筋肉自体もまだ動くはずです!
ということをあれこれやって確かめてくれたらしい。

結果、
何か上手く筋肉や神経に働きかけをしたら、残存機能維持や回復出来る……かも。
ていうことかな。(それはこれまでもよく言って貰っていた言葉ですけど、又々改めて?)
ってことはつまり、これまでと何も変わらないってことなのかなぁ。

私も、まだじたばた出来る部分はあるんだし、筋肉が全く働かない状態ではないことは自覚出来てるよ!
とにかく、司令塔(脳からの命令)が誤作動を起こしているのか、
入れたい所に力が入らず、入らなくても良いところに筋肉の緊張が起きてしまう。もしくは体中への伝達が遅くなってしまうのか、自分の意思よりずっと遅れて体が反応する。特に人からの指示について行けない。

自分の体であって、自分では操作出来ない。エンジンは壊れきってはいないよって言われて来たけど、いつまで経っても配線がおかしいまんま。
だから、動かしたい所が動かない。そんな事が積み重なって廃用で動かなくなる。壊れきってないって言うなら、修理してほしいの!

じゃあ、リハビリでもして無理やりでも動かせば?
って思っても、普段の生活でさえおぼつかない。
すぐに体力の限界を超えて、どうしてもやりたいことや、やるべき事さえも出来なくなる。

生活と切り離して、
体力に合わせてリハビリ入院的なことも出来るかもって以前入院した病院で言われたのに、いつの間にか出来ない事になっていた。
今の医療の仕組みとしてそうしたことは出来にくいらしい。
それもどうしてなのかはよく分からない。
医療費のルールや病院の経営上の問題なのかなぁ?

これまでも問題解決の手がかりを見つけたい!立ち向かうものをあぶり出したいって思いながらいろんな病院に通って来た。
そうしてきた事が無意味だったとは思わない。
その時その時出来るだけの事をしてきたわけなんだから……。

でもほとんどは手立てなく、ずっとこんなことを繰り返してる。
病気が又別の病気を呼び込んでしまいそうになるショボーン

いろんな検査が終わり、最後に先生が、
「次に来た時はきっと今より良くなっていますから、頑張りましょう!」って声をかけてくれた。

患者に不安を与えない。希望を奪い取るような事は言わない。
そうした配慮は凄く分かるし大事な事だと思ってる。

これまでも、先生の言葉ひとつを、希望の光として頑張って来られた部分も大きかったから。

でも、今回の私は何だか釈然としなかった。
多分一番大きかったのは、自分の尋ねたいことをきちんと聞けなかったのが原因。
次に挙げるとしたら、
先生が何を根拠に、
「次に来たら良くなってる」って言ってるのか、
私自身、心が受け止められてないから。
そして、
何をどう具体的に頑張ったら良いのかが分からないってことが一番こたえる。

私達、何のために徳島くんだりまで来てるんだろ~って、
廊下に出たとたん、涙が出て来た。
お父ちゃんに、「な~んか、しんどくなってきた。いつもこんなだし、こんなこと何時までやっても何にも変わらないじゃん!」って泣き言言ったら、
「何を今さら?これまでもほとんどこんな感じやったやろ?今に始まったことじゃないやろ?それよりコーヒーでも飲みに行くか?」って静かに諭されたお願い


これまでも、私達なりに頑張って、いろんな工夫して、「生活することがリハビリ」だと思って、苦しい中でも「唯一のお薬だと思ってる笑顔を絶やさず」に、あらゆるチャレンジもしてきたつもり

それでも?
いや、それだからなのかな~?
喋りたいこともちゃんとつたわるように喋ることが出来ず、呼吸機能も驚く程悪くなり、身体機能も体力も落ちているのが現実。
紛れもない今の私。

五年ほど前、京都大学病院で検査入院して「検査結果は真っ黒ではなかったけど、今の医学では非典型のALSとしかいいようがない状態です。」と 病名を付けて貰った。
おかしな話だけど、ショックな反面、やっと病名つけて貰って救われた気がした。
そのお陰で指定難病患者や障害者として、様々な社会保障のお世話にもなっているし、
医療的なバックボーンも付けてもらえている。
訪問看護•訪問リハビリ•居宅ヘルパー•レンタル用品の会社•ケアマネジャー•地元の定期受診してる病院•処方薬局……。
仕事とは言え、たくさんの人達が必要なケアをして貰える環境を作ってくれる。
凄く有難い。
もちろん改善したい事はたくさんあるのは事実。
でも、こんなド田舎で、様々な制約や制度改革の波に浮き沈みしながら、私の在宅に関わってくれている各方面の人達が、精一杯支えてくれようとしてくれてるのよくわかるから。
そんなに簡単には音をあげたり、ただ泣き言吐いたり嘆いたりして過ごしたくはない。
そんな在宅は、何より自分に負けてるようで悔しいから、何があっても歯食いしばって乗り越えて行きたいとは思ってる。

食いしばり過ぎて知覚過敏になってるけど笑い泣き

ただ、病院へ行って検査したり、いろんな病院で受診して先生とやりとりする度に、
心がざわつく。かき乱されてしまう。
私の心の下の方に沈ませて、普段は出来るだけ綺麗な水で満たしていたいと、わざと見ないふりしてるのに……。
かき混ぜられて、いつまでもぐるぐるグルグルうずまきうずまきうずまきもやもやもやもやもやもやもやもや
何度もまぜられる。
心の中に底なし沼の泥が濁りとなって浮き上がって来て、
なかなか沈んでくれないもやもやもやもやガーン

とにかく私は、
現在の医学書に書かれているような病態ではないらしい。
ALSも、疑われる他の病気の検査結果も、いくつかは黒なんだけど、完全に決め手になるものにたどり着くことが出来ない。つまり、ぴたっとヒットするものがないの。

それは、ある意味とてもラッキーな事なんだとも思うし、こんなこと書いてる事自体贅沢なのかも知れないとも思ってる。
でも、私の体には確かな変化が起きているし、過去には「話せず食べられずほぼ動けなくなる」という、限りなくノーマルなALSスロー ロードをたどっていたんだもん。
だから、病名がつこうが付くまいが、検査結果がどうであろうが容赦なかったの。

病名がはっきりしている方のブログなんか読んでると、
いろんな研究や治験なども行われて、「○○には◇◇が効果的らしい。」
というような情報もお見かけする。その病名宣告を受けてる人達にとっては、それが一筋の希望の光になることは、
私も経験してるから純粋に嬉しい。
体の状態が一番悪くなってる時山中先生のIPS細胞の研究成果が猛スピードで進み始め、
「あ~。この分なら私達の病気も治るようになるかも!」って、未来に向けて違った道筋が見えるようになった。
しかし改めて考えてみると、今となってはなんだけど、
これって明確な原因が分からないイレギュラーモデルの今の私にとって、希望につながるものなんだろうか?
どこに行っても、いつまでもたっても先に進めない虚しさ。
これから研究が進んで、きっといろんな病気の新薬が出来てくる。
としても、多分私には適応にならない。
そんな事を思うにつけ、
発病当時あちこちでカルテや診断書に書かれていた、
「心因性か」とか「○○○疑い」という所見が、いつまでも私の心に付いてまわる。

こんなに進行してるのに…」と、初めは嫌だったけど、本当にそうなんだったら、
それでいいから治して欲しいって開き直ってた。

変な話だし、とっても不謹慎なことは分かっているけど、
ハッキリと、「私の病気は○○なんです!だからこんな症状が出て来ているんです。」と言って、胸張ってどこかに属したい。そんな事さえ考えてしまう。
よく、患者会や難病関係の団体があって、入会も勧められたけど、
私はどんな顔してはっきり確定診断された方々と会えるのかなって思う。
悪いことなんかしてないのに、後ろめたい気持ちになってしまう。
「中途半端なアンタなんかにホントの苦しさ分からんでしょー!?」って言われたら、返す言葉はないのかも知れない。
私には私の苦しさや、カテゴリーに分類されていない孤独感や不安定感がある。
当然、先々どうなっていくのか分からないというジリジリとした焦燥感や不安。
恐怖や葛藤……。
いつまで経ってもそうしたものから抜け出せない。

普段は「新しい一日が始まれば、それだけでありがたい!」
「今日も何とか無事に過ごせた。よく頑張った!」
って思ってる。
それが出来ない状況の人達や、自宅での生活さえ諦めざるを得ない人達が沢山居るんだから……。

地元の病院で診てくれている先生は、
「原因や病態が様々ではっきりしないから難病って言うんですよ!特に神経内科の病気なんて、一昔前にはほとんどが心因性や精神的なものとして片付けられてましたよ!
今現在「ALS 」なんてひとくくりに名づけられてますけど、あくまでもそれは教科書的なものですからね!」と、
ホーキング博士を例にしながら、患者の数だけ病態も違うから病名にこだわったり、振り回されない方がいい!
そう言ってくれたことがありました。

大学病院と地元病院の先生は、どちらも素晴らしい方々ですし信頼もしています。それぞれの役割も違うことも頭では理解してるつもり。

でも、私の体については分からないことがあり過ぎて、
症状の変化もイレギュラーだから、
お父ちゃんが一番してはいけないという、
一喜一憂をしてしまうのです。

次こそ何か分かったりて……。
(既にだいぶ期待値あがってる(;^_^A)
白紙にもどして最初から、詳しく調べ治したら、何か手がかりが出てくるんじゃない?
(だから~、それはさんざんしてきたでしょーよ)
それが無理なら、
一か八かリハビリ入院でもして、体力つけたり機能維持させて貰えないかなぁ。
以前みたいに回復の伸びしろあるかも知れないのに…。
(はい!それも相当粘ってあちこち問い合わせもしたよね~!出来ないって言われたっしょ!)

何なんだ?この過ぎていっている時間は!
痛みに耐えて、ただただ経過観察して、せめて対症療法だけでもって、処方薬出して貰って飲んで~、
その都度、先の見えない沼の中でもがき続けている…。

くどいようだけど、
時々、どうしようもない虚しさと、孤独感に包まれてしまうのです。

白鳥(しらとり:ここではカモメのこと)はかなしからずや(哀しくないのでしょうか?いいえ、きっと哀しく思ってるでしょー!)
空の青にも海のあをにも
染まず漂ふ(たった1羽で、空の青色にも海の碧色にも染まることも出来ず、孤独なまま、あてどなく飛び続けることを…。)
若山牧水作~

私は黒い羽根も生えたけど、私自身をこのしらとりのように感じてしまいます。

白鳥は白鳥でかまわないし、1羽だっていいんです。
だって私という絶対無二の存在なんだから。
でも、どちらにも染まらずにあまりにも長く漂い続けたから、疲れたのでしょう。

考える間も与えられず、急速に進行してしまった方や、命さえも奪われてしまった方々。また、その方達と関わっていらっしゃる方々。ごめんなさい。
きっと
不愉快な表現があっただろうと思います。
すみません。

介護環境の維持や、体の変化の度にプランや介護方法を合わせて貰わなければならないという焦りや不安。
いつか来てしまうんじゃないかと目の前にちらつく、越えようのない壁。
他にもいろんな事が重なって、
一粒の芽も吹き出して来ないような、
不毛なブログになってしまいました。

こんな時もありますって事で、スルーして下さい。

この長ったらしいブログ打ち込んでる間に、
母校中村高校は初戦敗退し(入浴中で観戦出来ずショボーン)、
お父ちゃんはたった2年でまさかの異動(中村高校の応援始めた瞬間に、学校長から電話ポーン)。

本当に人生一瞬先は何が起きるか分からん!

悩んでも、孤独感感じても、
いろんなはっきりしないことでストレス感じても、

とにかく、前向いて顔上げて生きていくしかない!

学年末、大掃除の後、お父ちゃんが学校から持って帰ってくれた私の渾身の作品。













私が在宅を始めて間もない頃、いろんな混乱があって、
「こんなはずじゃなかった!」「あんなに慎重に確認も準備も進めてきたのにだまされた!」
どうしていいのか収拾がつかなくなってしまった。

その上、これまで全く経験がない他人さまが沢山家に入って来るようになった気疲れと、
ヘルパーにどんな事を頼めるのかも分からない、でもヘルパー頼みの毎日の積み重ね。

精神的にもおかしくなるほどストレスたまって、
嘘の情報に踊らされていた悔しさや、理不尽な決まり事に対する怒りをエネルギーに、
ボロボロになりながら戦っていた頃の作品。

まともにペンも握れないのに、
何かに取り付かれたように、
ありとあらゆる工夫をして仕上げた作品。どれだけの時間をかけたかも忘れてしまうくらい言葉に思いのタケを詰め込んだ。

何でお父ちゃんの学校に掲示してたか。

せめて作品を通してでも、私は子ども達と繋がっていたかったし、
苦しさの中でうつむいている子どもがいたら、その中の一人だけでも、
この作品から何かを感じて貰えたら嬉しいなぁって、
私がお願いして校内に掲示してもらってた。

あの悔しくて情けなくて狂いそうだった頃、ベッドから見える所に貼って、毎日毎日これ見ながら新しい生活を作り上げていった。
私の原点。

今の私にあの頃の熱い思いはある?
戦いに挑む覚悟はかわってない?
一番嫌いな、
「どうせ」とか「所詮」とか「今さら」…。
そんな言葉で心を詰まらせてない?

しばらくは、又あの頃を思い出しながら、自問自答をしなければならない時を迎えているのだろう……。

「お前はどんな在宅を望んでいる?何を目指して生きている?」

「これからも、これまでのように戦い続けて行く覚悟はある?」

「諦めという鎖で自分を縛り付けてない?」
と。

ファイト!
私。