前回↓

実家へ帰った時

私たちの喧嘩なんて屁でもないくらいの問題が起こってました。

 

自分の子供達の面倒をみなくてはいけない姉が

面倒を見られない。

 

シングルマザーで頼れる父親はいない。

 

その次に世話が出来る母も

同じく面倒を見られない状況。

 

仕方なく父が

仕事の帰りに子供達の世話をする日々を送っていました。

 

父の心労疲労が半端なかった。

 

 

そこへ帰ってきた次女。

育児休暇中。

(正確には会社をやめて休職中)

 

私しかいなかった。

 

全ての問題を丸っと解決する策。

 

私が姉の家へ行き

一人で4人の男の子の世話をする。

 

 

私はまーくんと仲違いしている問題があったけど

夫婦喧嘩なんて

いつでもどこにでもあるもの。

 

子供達の命がかかっているこちらの方が

大問題だった。

(結果的に、

まーくんの命の方が危機だったけど)

 

 

ワンオペでいきなり4人の親になる。

年代様々、全部男の子。

 

甥っ子はかわいいし

そもそもワンオペだったので

さほど負担でもなく

楽しく生活していました。

 

 

とはいえ

夏休み中の

4人の子供の朝・昼・晩の食事

中学生の部活でのお弁当

加えてしーちゃんの授乳

 

しーちゃんの昼寝の寝かしつけに

けーくんの遊びの相手

甥っ子を一緒に遊びに連れて行ったり

夏休みの工作を一緒に考えたり

宿題をみたり

5人分の洗濯物に部屋の掃除

 

もちろん大きい甥っ子たちは手伝ってくれましたが

基本的に一人で全部やり

一人で4人を育ててました。

 

てんてこ舞いの日々を過ごし

楽しくもあったけど

確実に大変でもあった。

 

それでも皆んなのために頑張ったんです。

自分なりに頑張ってたんです。

 

 

 

それなのに…

 

 

なにも…

なにもこんな時に

死ぬことなんてないのに…

 

 

 

私が腹を立てていたことは確かです。

帰りたくなかったのも事実。

 

でも帰れない状況だった。

 

ただムカついて

帰らなかったわけじゃない。

 

 

 

なんでよりにもよって今だったのか…

どうしてこんな状況の時なのか…

 

 

出会って10年での大きな亀裂。(私の心の)

初めての私への暴言。

仲直りできなかった期間。

選択を誤った、最期の別れ。

帰るに帰れなかった事情。

 

全部の歯車が

うまいこと悪く回ってしまって

最悪の結果を引き起こした。

 

 

一つでも何かが違ったら…

 

 

私はまーくんに

最期の言葉を伝えられていたかもしれない。

 

まーくんの最期の言葉を聞けたかもしれない。

 

 

「愛していたよ」と伝え

(愛されていたんだ)とその言葉を持って

天国にいけたかもしれない。

 

 

最期の最後に

子供達に触れさせてあげられたかもしれない。

 

最期のハグを

子供達にしてあげられたかもしれない。

 

 

 

 

 

…倒れた時にそばにいたら

助けてあげられたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

今、生きていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

隣で笑っていたかもしれない。

 

 

 

 

 

「…かもしれない」

「…かもしれない」

 

 

 

もう二度と変わらない運命に

ずっと、「こうだったら…」と

無駄なことを考える。

 

 

 

そんな忙しい日々を送って行く中

そろそろ仲直りを…

と私とまーくんの仲違いに

終わりが見えそうになった時でした

 

 

運命の残酷さを伝える

電話が鳴ったのは…

 

 

 

続きます。

 

 

↓仲違い中の突然死。どうして今なんだろう。

『初めから読む』

 

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