図書館や本は、贅沢な方法だ。
図書館の建設にカーネギーなどが、多額の資金を投入して、建設してくれた。いまも、多くの資金がつぎ込まれて図書館が建設されつづけている。
電線による電話は、世界中に普及するに至らなかったが、携帯電話は、世界中に普及した。
電線と電柱を立てたり、交換機を設置するのが、たいへんなのだ。
むかし、電話を設置する時に、債券を強制的に購入させられて、日本中に、電線を引くことができた。
しかし、今では、巨大な電話交換機システムの更新は、悩みの種になっているに違いない。
電子書籍の普及にともなって、10年後、20年後の図書館は、今の電話交換機のように、その維持に
悩む時代になるだろう。
日本は経済発展を遂げたので、日本中に図書館をつくることもできたし、それを維持することもできる。
紙をたくさん使って、本もつくることもできる。
アジアやアフリカの国々は、日本のように豊かではない。
図書館や紙の本を、無限につくることはできない。
数十年後の世界からみれば、今は、本当に贅沢な話になるだろう。
今の電線による電話は、贅沢なものになるように。
もし、どこかの国で、国民に電線による電話を普及させようとしたら、莫大な財政が必要になる。
その国とっては、電話は贅沢品と呼ばれるに違いない。
その国で、日本のように、町々に図書館を建設しようとしたら、それも、贅沢と言われてしまうかもしれない。
本自体が贅沢だ。
その国では、国家が、運営する一つの電子図書館があれば、いい。もしかすれば、出版社が、出版したすべての
本をいつでも提供できるなら、図書館さえいらない。
図書館は時間と空間、言語を越えて、図書や雑誌を物理的に集積する使命を担っているので、そうしているのであって、
それに代わるものがあれば、その存在は必要ない。電線の電話と携帯電話のように。
昔は、引越しをしたら、電線の電話を設置してもらう必要があった。しかし、今は、電線の電話がなくても困らない時代だ。
スマホで、いつでも、好きな時に、必要とする本が読めるなら、別に図書館も本屋もいらない。
今は、そうできないので、図書館や本屋が必要なだけだ。
電線の電話がいらなくなるように、紙の本もいらなくなるはずだ。
紙の本は贅沢で、重い。