黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)

黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)

一次情報ダイレクトアクセス時代のドキュメンテーションシステム


以前の世界と以後の世界


この技術は、改善、改革ですか?

いいえ! これは革命レボリューションです。


もう、前の世界に戻ることは不可能なのです。


このブログでは、革命前の世界と革命後の世界を追いかけているのです。




われわれは、電子書籍という数か月遅れの古本を買わされている。
その上、新刊書と古本としての電子書籍の売上比較をされている。



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青少年向け電子図書館 があると書いた。

 

世界には、青少年のための電子図書館が存在する。

かつて、カーネギーが世界中図書館を建設するために奔走した。

この電子図書館は、どのように発展しているのだろうか?

https://www.questia.com/

https://www.questiaschool.com/

 

 
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小学校や中学校は、文科省のもと、市町村で運営されているケースが多いので、
NPO法人かなにかで、全国の小学校、中学校向け、超巨大電子図書館を1づつ作成して提供するのは
効果的だろう。
ここでは、公共図書館内マイクロ電子図書館に対して、日本中の小学校、中学校をサポートする意味では、
超巨大という名称をつけているが、実態は、超巨大という名前に相応しくない内容だろう。
小学生向け電子図書の総数は、十数万から、数十万冊程度で、30万冊を超えることは難しいだろう。
数万冊用意できれば、たぶん、実用可能になる。
中学生向けでも、同程度か、もうすこし、大きい程度。
資金源は、各学校から、数万円程度をあつめて、維持費用として、電子図書館の利用に基づいて、その学校のポイントが増えて、
購入する選書権を与えるようにする。
出版社などには、影響も大きいので、1冊あたり、十万円程度で、購入する。
もし、名作の電子化をする場合の費用として、数十万円を支払う。
すると名作の電子化を行ったものは、通常の電子書籍として販売できるので、出版社とし、リスクはない。
もしかすれば、このNPOが電子書籍化事業を請け負うこともできるかもしれない。
すると、地域の書店、図書館サービス会社は、それなりの打撃を受けてしまう。
(たとえば、昔、運転免許の更新に行くとき、周辺の代書屋によって、運転免許の下準備をしてから、運転免許の更新にいったものだが、いまは、そのような手続きは不要になった)
そこで、なんらかの対策が必要かもしれない。
対策の一つは、超巨大電子図書館のデータのフィードバックだろう。
校長先生の動向も、重要である。
超巨大電子図書館は、それのみで完結しえないので、その影響力は、それなりに大きいはずなので、その影響を十分活用することである。
地方出版社は、この超巨大電子図書館の電子化事業を活発に、地域に関する図書や雑誌の電子化を請け負うことでかなりの収入を見込めるようになるかもしれない。1冊あたり、数十万円での納品が可能になれば、電子化を行うことも不可能ではないだろう。
 
文科省の統計によれば、小学校は、約20000校  5万から1万程度の会費で、最大5億から1億程度 
5億程度では、なかなか運営は厳しそうだ。
中学校は、約10000校程度  10万円から5万円程度の会費で、最大10億から5億程度
なかなか、システム維持、電子化の推進に必要な金にはなりにくいが、なんらかの補助金があれば、
画期的なことになるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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公共図書館内に、数十冊、数百規模程度のマイクロ電子図書館を構築して運用するとどのようなことが起るのか、推測してみよう。

公共図書館の本は、物理的に貸出されるので、誰かが借りている場合は、その本は、図書館に存在しないので、誰の目にも明らかである。

公共図書館などで採用されるマイクロ電子図書館(ここでは大学図書館などの出版社から購入する電子書籍とは、考え方がちがうので、

あえて、電子図書館とよび、電子書籍と区別している。)には、利用のルールが設定されている。

 

同時利用者数  通常は1ユーザー 利用貸出期間2週間 というような設定だされる。

物理的に貸出をするわけではないので、本の紛失や督促が不要になる。

利用者の利用権が終了すれば、自然に他の利用者に利用できるようになる。

問題は、同時利用1ユーザーという概念に利用者が満足できるかである。

電子図書館なので、予約をすれば、順番に読むことができると思うが、その管理をマイクロ電子図書館が行うわけである。

図書館の本の場合、読み終わるまで、返さないという荒業もあるが、電子図書館では、期限がきれれば、その瞬間に、読めなくなる。

本を読んでいる途中でも、突然、読めなくなる。

一番問題になりそうなことは、存在しているのに、誰かが利用しているのに、読めないという感覚の克服だろう。公共図書館の利用者は、図書を読むために順番に待つことに慣れているかもしれないが、電子図書館で待つという感覚は別ものになる。

 

限られた予算の中、電子図書館の図書は、割高である。装備や貸出等の人件費、時間的制限などがない分、割高であることが容認される可能性もあるが、あまり、潤沢でない予算を、電子図書館の図書にどの程度購入にあてるのかが問題になる。

電子図書館は、最初の1冊からの蓄積であるので、10年、20年という長期にわたり運用していくことを前提に、少しずつ購入していくことになる。最初から大量の図書を購入することはできない。

日本の出版社事情を考えると、無料図書の提供は難しい。

電子書籍に変換するだけでも、時間と労力がかかるので、無料の電子書籍を、つけるのが難しい。(その余裕がない)

 

さて、ここまで書いてくると、さらなる飛躍が発生する。

学校図書館で、タブレット端末の需要も多い。子供たちが、家に持って帰ってもよいようなタブレット端末を配布、貸与などが可能であれば、

学校図書館の電子図書館化はいいかもしれない。

学校なので、かなり考えやすい。

コレクションは、子供向けに限定しやすい。コレクションも作りやすい。

全国の学校図書館向けに整備すれば、利用者も、数百万人という規模で設定することもできる。全国に、小学校向け、中学校向け、高校向けと、1つづつあればよい。

利用者状況を想定すれば、電子図書館の本の購入単価をかなり高くしても、成り立つ可能性もある。(かわりに紙の本が図書館向けに購入されなくなるとデメリットもある)全国規模なら、同時利用者数を無制限のような設定も可能だろう。

すると、小学校の校長先生が、全校生徒に読んでもらいたい本を、全校生徒が読むということも可能になる。

現在の学校図書館の図書の少なさや蔵書の古さを考慮すれば、かなり有望な方法である。

 

さらなるアイデアもある。

学校図書館の電子図書館の維持運営負担金を、利用状況によって変化させる。

受益者負担の考えと逆行するのだが、よく使われる学校ほど、負担金を少なくすると、よく使われる学校は、負担金削減を目指して、ますます図書の利用が活発になる。読書奨励がますますさかんになる。

これは、資本主義に逆行しているようだが、その子供たちの成長後に大きな効果を生む投資になる。

 

電子書籍が、どこでも、いつでも読めるので、紙の本を読むより、細切れな時間で読むことが多くなる。

現代人は、長い小説を読むのが、たいへんだが、電子書籍を活用するとかなり大部の本を読むことが可能になる。

 

公共図書館内マイクロ電子図書館は、規模を拡大するのに多額の費用と時間がかかる。

それをストレスなく利用者に利用してもらうのはなかなか難しい。(対策は利用者があまり多くない専門書に限定するなどがいいかもしれない。もしくは、電子図書の寄贈を受けるという方法もあるかもしれない。個人出版本は、寄贈が多いかもしれない。)

 

学校図書館では、全国共通なので、全国に小学校用、中学校用に1台用意して、多くの子供たちが同時に読めるシステムも構築すると効果的である。

 

 


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国際基督教大学図書館には、古い新聞がたくさんある。

一番古そうな新聞は、NYT あたりかもしれないが、江戸末期、明治期にも日本でもたくさんの新聞がでており、それらが大量に復刻されている。

新聞をどのように保存するのか、図書館は格闘してきた。

よくある方法は、マイクロフィルムにする方法である。

NYTの創刊ゴウから、最近のものまで、数千本のマイクロフィルムがある。それらを購入した金額も、巨額である。

NYT以外にも、いろいろなマイクロフィルムがある。

しかし、現在は、オンラインでさらりと読めるので、マイクロフイルムもほとんど使われることもない。

 

朝日新聞や読売新聞も、CD-ROM,DVDといったものを次々と販売して、図書館も莫大な金額を出して購入したが、いまでは、検索をするすべもない。パソコンの変化やCD-ROM,DVDの操作方法の複雑さである。

オンラインがあれば、それらは、いらない。

 

図書館は、長い時間の流れで、考えているが、技術の変化で、10年程度利用できれば、それも、それなりの成果なのかもしれない。パソコンの変化は、数年であったことを考えれば、それなりなのかもしれない。

 

本は、数十年、100年と保存され、読めるということと比較してはならない。

確かに、本の形は残っていても、現代人のリテラシーが変化してしまうので、江戸の庶民が読んでいたものや、戦前の旧漢字、仮名遣いが、難しい。(それは、現代中国人は、簡体字以前の漢字や、現代韓国人が漢字をよめないのといっしょでもある。)

 

日刊新聞は、大量の記事が書かれているが、それを、自由にアクセスできるように管理するのは、図書館にとっても、至難の業と手間がかかる。

 

最近、半年間、10部の新聞をくれるという新聞社があった。

新聞という紙の上に書かれた情報は、その存在寿命は、1日未満ということなのだろうか。

大量に生産される情報をどのように対応すればいいのだろうか。

それでなくても、スマホやアイホンには、無限の情報が流されており、その上、ツイッターやSNSも大量に流れている。

 

現代人は、どのように生きていくのがいいのだろうか?

 


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公共電子図書館を必要としている国は、日本ではない。なぜなら、日本には、リアルな公共図書館が山ほどあるからだ。

公共電子図書館を必要としている国は、リアルな図書館がない国々や国土が広く、必要な地域毎に図書館を作っていくことが

たいへんな国である。

 

この関係は、有線電話と携帯電話、スマホの関係に似ている。

日本は、何十年もかけて、日本中に有線電話を整備した。

有線電話は、各家に電線を引きこみ、そのための電柱を日本中に建てた。それだけでも大変であるが、高価が、電話交換整備が必要である。

それに比べて、携帯電話、スマホは、家ごとに電線を引いたりする必要もなく、高価な電話交換設備は必要としない。

数十年前は、有線電話しかなかったので、電話の導入は悲願であった。

 

       

ああ電話 : 山村のできごとからその未来像まで ルポルタージュ / 草柳大蔵著

 
出版者 東京 : ダイヤル社
出版年 1967
大きさ 186p 図版 ; 20cm

 

 

東京の電話 : その五十万加入まで / 東京電気通信局編

トウキョウ ノ デンワ
 
出版者 東京 : 電気通信協会
出版年 1958
大きさ 663p 図版47枚 はり込図版1枚 表 ;


 


さすがにアマゾンにあるかと思ったが、見つからない。そこで、ICU図書館の蔵書より転載

(大学図書館というのもすごいものだ。)

 

リアルな図書館の建設には、多額の建設費用と維持費用がかかるが、電子図書館は、安価に、運用できる。
地域的な制約を必要としないので、ユニセフあたりが運用してもよい。
但し、それぞれの国家にとって、意向もあるので、なんでもかんでも自由にできるわけではない。
国家の主義、主張に合わない図書を置いたり、宗教的な偏りが多いには、歓迎されない。

その意味で、国家は、国内中に図書館を建設する代わりに、電子図書館を運用するのは、自然だろう。

 


日本における公共図書館は、市町村立が多い。リアルな図書館の維持管理もいろいろたいへんで、十分なお金をかけられない状況のなかで、新たな数十冊、数百冊のマイクロ(ミニ)電子公共図書館を図書館内に作り出すのは、賢明な選択とは思えない。

もし、そのような資金があるなら、図書館の図書の購入費用に充当したほうが、市民にとっても、うれしいだろうし、出版社や作家にとっても、うれしいに違いない。

 

世界には、青少年のための電子図書館が存在する。

かつて、カーネギーが世界中図書館を建設するために奔走した。

この電子図書館は、どのように発展しているのだろうか?

https://www.questia.com/

https://www.questiaschool.com/

 

 


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紙の新聞は、配達という問題があるので、海外などに配ることはできない。

できれば、印刷した場所から、短時間で配布できる範囲に限られる。

図書館も通える範囲の地域をカバーして。設置されているし、市町村が図書館の運営母体になっている。

しかし、電子図書館は、地域的制限が発生しない。

もちろん、市町村が運営しているものを、他の市民が利用するのは、難しい違いない。

紙の図書の収集するお金も限られいるので、それを削って、電子図書館用資料の収集を1冊から始めるのも、なかなか気の遠くなる話だ。

たとえば、図書購入費が100万円しかないとすれば、紙の本を50万円分購入し、電子図書館用図書を50万円分購入するのかという問題になる。

現在、10万冊の図書があって、いままで、1000冊の増加があった場合、それを500冊に減らして、電子図書館用図書を500冊購入するのかという問題になる。

そして、日本の場合、図書館向け電子書籍は、割高だ。

非常に長期的にみれば、電子書籍は劣化しないので、蓄積性は高いかもしれない。システム管理コストに電子書籍購入コストが見合うかは問題であるが。

システム管理コストが、電子書籍を購入するコストより多いようなら、紙の図書をその分購入した方がよい。

 

理想をいえば、公共図書館の電子図書館は、全国規模の電子図書館があればそれでいい。

地域の垣根は必要なからだ。

 

しかし、大規模電子図書館ができてしまうと、書籍の売り上げに重大な影響を与える可能性もある。

そこで、市町村レベルの電子図書館が、何百、何千とうまれるわけだ。

そこで、だれが、儲けるのかというと。。。。

そこに電子図書館ビジネスの戦略がかくされているが、そこが、気になるといえば、気になる。

 

たぶん、大規模電子図書館も不要なのだ。

アマゾンがあれば、それで十分で、電子図書館が、登場する余地はすでにないのではないか。

市町村レベルの電子図書館のあり方は、おすすめできないような気がする。

 


一般の図書館と        市町村レベルの電子図書館(図書館内電子図書館)

 

紙の本 100冊買うコスト   電子図書館用図書を買うコスト

紙の本の貸出回転率      電子図書館の貸出回転率(多くの場合同時アクセス1ユーザーに限定される。)

建物、人件費           電子図書館運営コスト(ハード、ソフト、クラウドなおの料金)

サービス対象者          特定の人に限定

10万冊                500冊

 

 


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図書館システムの登場から40年あまり。

国立情報学研究所の30年あまり。

図書館システムのシェア争いという戦国時代は終了し、平穏な江戸時代のような領地保全の時代になったようだ。

図書館システムも完成度の高いものになり、機能の優劣に大きな差がなくなったようだ。

戦国時代のような勇猛果敢な図書館システムもあまり、見かけなくなったような気がするが。

 

さて、国立大学法人の図書館システム(2016)のブログをみつけたので、紹介。

体制に大きな変化はないようにも見える。

 

よしなしごとさんのブログより

国立大学法人の図書館システム(2016)


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事件がおきると、警察が、その事情を発表する。その事情発表を、取材という。

警察の発表は、皆が同じ話を聞いているのだが、新聞記事は、同一にならない。

同一になると、どちらが、オリジナルのか、わからなくなってしまうので、多少の差異をつけなければならない。

 

記者会見やホームページなどでの発表を、みんなが同じものをみて、違う表現をする必要がある。

みんながどの程度違うのかは、新聞記事になってみないとわからない。

 

さて、ネットの時代になり、新聞や雑誌の記事を一度に検索することができる。

話題のあるテーマには、たくさんの記事が書かれることになる。

しばしば、同じ記事が、ちがう雑誌やホームページに掲載されているもの見受ける。

たとえば、Newsweekの記事は、ロイターから提携(もしくは、購入かも)しているものを多い。

一つの新聞社や雑誌社などが、世界のあらゆる事情に通じているわけにはいかないので

たくさんのネットワークで、情報の交換がされているに違いない。

 

新聞は、もともと、地域に情報を共有するために発達したのだから、全国、全世界の情報を得るのは難しいし、

印刷配布にも限界がある。

 

ホームページでは、世界中の人たちがみることができるので、安い料金で、たくさんの人がみるようにするとビジネスがなりたつ可能性もあるが、料金をとるというシステムが難しい。

といって、すべて無料にすると、ビジネスとして難しい。

 

日本の英字新聞もなかなか難しい。

 

 

 


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FM Tokyo というラジオ番組に、感じて漢字という不思議な番組がある。

漢字は、象形文字なのに、それを、音声だけのラジオ番組で成り立つのはすごい。

5分間番組で、1文字取り扱う。

漢字は、現在、数万字あるらしい。

 

漢字の不思議は、その発生である。

1文字だけあっても意味がないので、最初の登場から、数百、数千が同時に登場したと思われる。

中国の殷の時代に、漢字が、爆発的に登場したようだ。

そこには、天才というべき人がいて、次々と定めたのではないかと想像するのだが。

そして、その時の概念、イメージが、現在も伝わっていて、今なお、感じて漢字のような番組が存在する。

 

漢字の不思議である。


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人間はおしゃべりだ。本当に、毎日たくさんの言葉を交わしている。

声にならない言葉も、よく、頭の中を駆け巡っている。

文字にされる言葉も多い。

 

日本人は、日記が大好き。日本人は、天性のジャーナリストに違いない。

本になった日記という日記を集めた人を知っているが、その数は、本当にすごい量になった。

(そのようなことをするのは、大学の先生ぐらいだが。)

 

日本にも古い日記といえば、土佐日記、更科日記などもあるし、江戸時代にも地方武士が、江戸に出てきた様子を細々書いた日記もある。

とにかく、日本人は、日記が大好きだ。

 

さて、NHKは、人類の数百万年の歴史をたどり始めた。ネアンデルタール人は、かつては、お猿ような存在を思われていたが、最近では、言葉や文明、集落、石器などを持っていたと考えられるようになった。

ネアンデルタール人とホモサピエンスの命運を分けたのは、どちらが、おしゃべりであったかにあったようだ。

つまり、おしゃべりなホモサピエンスが生き残り、だんまり系のネアンデルタール人が、絶滅しまったらしいということらしい。

 

人類のおける、言葉の観察は、ヘレンケラーが、サリバン先生の薫陶のもと、言葉に出会う瞬間が、映画の中にも登場する。

井戸の水を触りながら、ヘレンケラーがこの世界に名前、言葉のあることに出会う瞬間である。

それ以来、彼女の人生が劇的に変化する。

 

ホモサピエンスやネアンデルタール人も、最初の言葉の出会いは、どんなに、素晴らしい瞬間だったのだろうかと、想像をたくましくしてしまう。

 

ところで、ネアンデルタール人という文字を書こうとすると、どうしても、悩んでいる人にみたいなってしまうのは、なんとかならないものか。ネアンデルタールの言葉の由来は、ドイツの地名からきている。悩んでいる人から来ている訳ではない。

 

 


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なぜ、このようなタイトルが付いたのか、少しは気になったので、図書館の本棚からもってきてみた。

 

このタイトルと本文の因果関係がなかなかわかりずらいのだが、P21で、

「すべての音楽が、アイポッド的機器とそのネットワークから提供されるとき」という文言がみつけた。

 

たしかに、LPレコードに針落とし、大きなスピーカーから流れる音楽の一瞬のあの緊張感や

静かに始まるオーケストラの始まりに、耳を澄まして、息を澄ますという瞬間は、

失われたかもしれない。

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