もともと、本を読むという人間は忍耐強いのかもしれないが、僕は、忍耐強くない。

 

だいたい、図書館に行って、本を借りにいくというもの、忍耐強い行動の一つだ。

さらに、書店に行って、本を買おうという行動は、さらに忍耐強い行動の一つだ。

だいたい、本屋で、探している本が見つけるのは、本当に大変。ものすごい忍耐が必要だ。

だいたい、記憶を頼りに、本を探しに行くと、地獄に落ちてしまうほどの苦悩に出会う。

 

その点、アマゾンやkinoppy はいい、自宅でも本を探せるし、情報がある時に、探せるからだ。その場で、注文できるので、間違うことがない。

 

私の知っている本好きの人は、専用の手帳に、読みたい本をメモしている。手書きで、びっしり小さな字で、数百冊、数千冊、もしくは、数万冊を書いてきたのでないかと思う。なぜなら、その人の若い時から何十年もやっている習慣なのだから。

でも、そのような人は、一人しか知らない。

その人は、アマゾンも、その他のネット書店を一切使わない。本も書店で買う。

実に忍耐強い人だ。

 

一方、私は、記憶力も、さほどないし、移り気なので、その場で、読みたい思った時しか、読まない。本屋や図書館には、行かない。

(一応、大学図書館には、勤めているが、近所の公共図書館もほとんど行かない。歩いて3分ほどの所に、立派な図書館がある。そういえば、昔、図書館カードを作ってもらったはずだが、色々探してみたが、どうしても見つからない。もし、利用するとなると、再発行をお願いするしかない。)

 

やはり、アマゾンやKinoppyが一番いい。電車の中でも、購入できるし、どこでも、いつでも欲しいという本があれば、買えるし。本を探さなくてもいい。電子書籍が一番いい。すぐ読めるし、本がなくならない。

どうして、買った本は、読み終わらないうちに、家の中で、行方不明になるのが、不思議だ。

 

電子書籍の最大の問題は、電子書籍になるのに、タイムラグを発生させることだ。

これ以上、電子書籍読者を冒涜するものはない。

 

自分たちの利益を確保したいというのは、わかりますけど、それは、利用者に見えないようにすべきであって、こんなにもあからさまな方法で行われると、憲法違反を言ってもいいかもしれません。(プンプン)

 

需要と供給という問題に置いて、紙という物理的限界ゆえの、需要と供給がなかなかうまく成立しない。

それを解決する電子書籍を、活用しないのは、どうしてだろう。電子書籍の愛好家を大切にして欲しい。

 

どうせ、今後、紙による出版は、自然環境資源保護の為に、制限されるに違いないのだ。いくら活字文化の為に、密林の樹々を無制限に切って言い訳はない。二酸化炭素を吸収する密林を大切にしなければならないはずだ。最近は、二酸化炭素をだすという理由で、ガソリンエンジンの自動車を作らないぞ、と、言っている時代に、樹々を切り倒して、本を作っていいのだろうか?