5月23日 読売新聞朝刊(文化欄)に「本の中身読めるグーグル新検索」と対する記事が掲載され、グーグル新検索(ブック検索)の認知度が広がった。

この記事を読んで感じること。また、出版に関することで、感じることは、本の製作者側の意見で、図書の読み手側の意見がなかなか収録されないことだ。
確かに、製作側は、すぐにわかるので、取材も簡単だが、読み手側の誰を取材すべきかは、難しい。

今後、本の販売方法も考えられるが、まず、今回の記事で最大のミステイクは、本の中身読めるとしている点である。本の中身が読めるのではなく、本の中身が検索できるというべきでしょうね。

コンピュータを介して図書が読める電子書籍の大きな問題が、保存性、蓄積性、検索性、携帯性が、重視されるべきなのに、現在の電子書籍は、まるで、テレビかラジオのように、一度見たり、聞いたりしたら、2度と読めないぞ、といった、感じで展開していることである。

図書を個人が1万冊 保管することは、現在の住宅事情等を考えれば不可能であるが、電子化によって、
そのようなことも可能になる。
一人の人間が一生涯かけて読んだ本を、電子図書館という機能を使えば、蓄積、保存、検索に非常に優れたものができるが、それを構築することが、未だ、できずにいる。

いったい、このような支援を誰がするのであろうか?

しかし、とりあえずの手段として、アマゾンやグーグルの新機能があれば、いままでに、読んだ本で、自宅の書架のどこかにあるかも知れない、もしくは、捨ててしまった図書を、確認したい場合に、大いに役立つだろう。特に、情報を生産、再生産している人には、限りない朗報にちがいない。
しかも、情報を生産、再生産している人たちが、図書を大量に買い込むのである。
その人たちに、無限に図書を売り込みことを可能にするのである。
いままで、読んだ図書情報を保存管理する必要がないので、新しい図書を次々と買いこんでいけるのである。

本は、その世界にどっぷりつかって読むべきである。
何者にも中断されることなく。
その意味で、本に勝るものはない。

しかし、図書1万冊、図書10万冊の重さに、個人は耐えられないのである。

個人の新しい書斎、書棚 電子図書館こそ、本の出版界の起死回生の手段である。
音楽業界では、マッチ箱のような大きさのなかに、電子音楽図書館というべきものを実現した。
このことによって、音楽が、無限の量の供給が可能になった。

図書は、未だ、家庭の中で、邪魔者扱いの憂き目をあっているのである。
子供たちのすばらしい感動を与えた、ハリーポッターも次々と出版されて、子供たちが、宝物として
保存する限界が近づいている。いや、既に、限界を超えている家庭も多いだろう。
それを、無視し続けることはできない。
ハリポッターシリーズが今後も売れ続けることができるか、どうかは、意外に思うかもしれないが、
住宅事情による と、私は思っている。
決して、字を読むのが嫌いなのではない。過去、数千年の歴史を考えてみても、今ほど、文字文化、文字コミュニケーション(メールを指す)が、発達した時代はない。
現在は、文字の時代だ と、いうことも可能である。