かつて、図書館は、世界中の図書をあつめることを目的にして、建設されたもののあった。
それが無理なら、世界中の図書の目録をとろうとした。
私が学生時代をすごした1970年代中ごろは、私たちが利用できた唯一とも言うべきツールは、目録カードであった。この目録カードをどれだけたくさんつくり、維持管理するのかが、最大の目的であった。

メメックスという言葉をご存知だろうか。

ビル・ゲイツ著の思考スピード経営という本を読むと、ヴァーニヴァー・ブッシュ博士の考えたメメックス(1945年提唱)という装置が紹介されており、ビルゲイツは、これをインターネットパソコンの原形として紹介している。(p196)

1945年当時は、マイクロフィルムを利用して、あらゆるデータをコンパクトに蓄積し活用する方法として紹介している。


私たちは、あらゆる情報、知識を管理し、活用しようと、してきた。そして、今も格闘をしているのである。


情報ツールが、紙やマイクロといったものから、電子の時代になったのである。


情報の宝庫、知恵の宝庫へアクセス方法は、紙やマイクロフィルムだけではない時代になった。
それも、紙やマイクロフィルムの何倍も、いや、何万倍も、いや、何億倍も便利になったのである。


そのことを図書館という枠組みでみないほうがよいように思う。
それを、図書館の目録という世界を通してみないほうがよいと思う。
それを、図書館の分類という世界を通してみないほうがよいと思う。

図書館には、もう、図書館のしっかりしすぎたイメージがあって、それが、私たちの柔軟な思考を妨げてしまう気がするからである。


その意味で、本のない図書館でも、いいのである。
本が読みたいという人がいたら、その時注文しても、良いのである。翌日には、届く時代になったのだから。
いろいろな可能性がある。借りてくることも可能なのである。


私たちは、1970年代、80年代、90年代 とても考えつかなかったことを、いとも、簡単に実現しようとしている時代になろうとしているのである。

その今、図書館という世界の中から世界をみなくてもよいのかも知れない。


同じ資金、同じ建物、同じ人材をもって、まったく、違う何かを、構想することも可能なのではないか?


私は、図書館が好きです。図書に囲まれているのも大好きです。


しかし、情報の宝庫、知恵の宝庫という世界が、誰も把握できないほどのスピードで世界を作っているのです。
それを、忘れないことも大切ですね。