日本の神話とは? | ツインソウルによろしく

前回は“聖書”にまつわるお話でしたが、日本版聖書というのがあるのだとしたら何がそれに該当するのでしょうか?

 

古事記?日本書記?スピに詳しい人の中には“竹内文書”“日月神示”“先代旧事本記大成経”等の話に触れた方もあるかと思います。それらの中には古代天皇王朝というものが存在し、何百万年前もの昔世界を統治していたという“物語”が語られていることがあります。

 

鞍馬寺のサナト・クマラ伝説や、幣立神宮の“五色人祭”などもそれを裏付ける根拠に用いられることがあるようです。

 

アトランティスやレムリアが今から大体16,000年から23,000年位前に存在していたと言われておりますから、それよりも遥か昔文明が存在し日本が中心になって世界を統治していたということが言いたいようなのですが、

 

もちろんその根拠など証明のしようがないもので、故に否定する根拠もないということになり、いわゆるスピの『言ったもん勝ち!』のポジティブ神話を許すことにも繋がっていくのでしょう。

 

~超古代文明の存在の可能性~

 

今から数百万年前というとアウストラロピテクスという初期の人類が存在していた頃に当たり、とてもそんな高度な文明などあり得ないという説が有力ですが、高度文明社会と未開の部族が交わることなく存在すること自体はあり得ない話ではありません。今だってどこかでは未だに一度も文明に触れたことのない未開人が存在する可能性は捨て切れないし、そんな存在にしてみれば、飛行機を操り、スマホを駆使する我々現代人を目撃したら正に神か宇宙人と遭遇したように思うでしょう。

 

ただし考古学の見地からそのような文明の証が発見されてはいないのですが、それだって高度な文明の情報は今のインターネット上の“クラウド”のような場所に保存されているとすれば物理的なものは発見され難いでしょう。またそのクラウドにアクセスし情報をダウンロードするツールが“クリスタルスカル”やスフィンクスの足下に眠る“黄金のディスク”なのだ、と言われればそれも可能性としてはあり得ない話ではないと思います。

 

未開人にUSBメモリを渡されてもそれが何だか分からないように、我々もただダウンロードして解読する術を持たないだけなのかも知れません。

 

少なくとも“パラレルワールド”のリアリティということまでも考慮するならば、人類史以前の高度な文明というものを否定する根拠は何もないということになります。

 

故にかつて日本の地に高度な意識をもった生命体が存在し、世界に影響力を誇っていたという“神話”は全くあり得ない話ではないと思います。ただしそのこと=日本の神様凄い=日本凄い=日本人凄いという話にはなり得ないと思うのですね。

 

当たり前の話なのですが、日本人“だから”凄いとか、日本人だから“特別”なんていう根拠はどこにもないのに、“神話”というものはそこに該当する人々の意識を心地よく高揚させ、かつ盲目的にさせる作用をもつ、いわば“洗脳”の要件を充分満たしているところに問題があるのではないかと思います。

 

それが段々『日本人が中心になって世界を変える』とか『弥勒の世を作る』のような話に飛躍していき、政治の世界に浸透すると極右的な勢力が台頭し、スピの世界では怪しげな宗教が蔓延ることに通じていきます。

 

安倍昭恵さんなどもその典型というか、不二阿祖山太神宮という新興宗教の名誉顧問を引き受けておられました。昭恵さんは“水の波動”で有名な江本勝さんや、船井ワールドといったいわゆるスピの王道を歩いてこられたようなのですね。ですから一見すると何であんな極右の森友学園の名誉校長を引き受けたのだろうと一般の人なら疑問に思うところでしょうが、本人はただ“シンクロ”に従ってきているだけなのでごく自然な流れだったのだと思います。

 

つい最近の話としては、ロックバンドとして人気のRADWINPSの新曲『HINOMARU』が日の丸の旗を掲げ国威発揚を謳うようないわゆる“右寄り”なものなのではないか?とネットで伝えられています。強引かも知れませんけど彼なども、『前・前・前世』から『HINOMARU』

へという曲の流れは正にスピから右寄りへという展開なのですね。

 

ただ最近の若い人達が右寄りに傾いていく背景の中にはやはり今の日本に漂う閉塞感が強いのではないかと思います。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』のバブルを経験せず、少子高齢化や不景気、貧困、漠とした将来への不安といった中にあってのアイデンティティークライシスというものが、どこか“輝かしい日本”というものを求める動きに繋がっているようにも思います。そこがいわゆる“神話”というものに感化されやすい“盲点”となっていくということですね。

 

“真理”というものは大げさに語られている物事をあらゆる角度から検証し、高揚を鎮める働きがあります。

 

対して“神話”というものは、事実の検証なくして人々を盲目的に扇動していく働きがあります。

 

三次元の世界が唯一の現実、という神話から目覚めても、高揚感をもたらす新たな神話の中で眠り呆ける、ということも起こり得るということですね^^