先日(2015年4月)の日曜日、夫と出掛ける用事があり、二人で出かけました。

 

用事が済み、ふと時計を見ると、「若しかして間に合うかも?」と思い

急いで京都駅まで送って貰いました。

 

お目当ては、「天台声明」です。

 

 

 

午後の部に、なんとかギリギリ間に合い「ラッキー!」でした。

 

 

 京都駅ビルの屋外特設ステージで、お寺のお堂の中で体感するのとは理由が違い、

駅の雑踏、人や車の動きなど、余計なものが多すぎます。

 

声明をより良く感じる為に、

視覚という情報を、眼を閉じる事によりシャットアウトし、音そのモノを楽しむ様に致しました。

 

 

すると不思議なもので、心に届いてくるのは声明のみです。

 

 

終わり頃に「般若心経」も唱えられましたので、思わず、目を閉じたまま手を合わせ、

マカハンニャーハラーミターと、知っている所を口ずさみました。

 

 

巷には、あらゆる情報が溢れ、

自分で選択するしないに関わらず、聴覚・視覚・嗅覚・等に訴えてきます。

 

 

自分にとって、必要な情報を取捨選択する為に、

敢えて、必要の無い情報はシャットアウトし、そうする事で、

必要な情報がよりよく心に届く場合もあります。

 

 

余計ものを捨て自分の内なる世界へ、入り込みます。

 

 

内なる世界・内なるパラレルワールド。

 

 

 


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