存在することのしあわせ | 悪あがき女製作所

悪あがき女製作所

-日日是好日をモットーに生きる女の戯言-
ラヴ☆蒲田


悪あがき女製作所


*



そこに存在してくれることへのありがたさ

それはなかなか気づかないものだけど、何かのきっかけでそれをいつか知ることになる。



何度か書いたけれど、父と母が離婚し

それから2年ちょいで母との離婚以来会っていなかった父が急死した。

父は目の前にいなくても、どこかで、そう遠くは無いどこかで存在し

会おうと思えばいつでも会える、そう思っていた。

ところが年齢なんて関係のないもので、あっけなく逝ってしまった。

享年43歳。



父の死をきっかけに少しずつ母との溝が生じてきた。

一度は修復した関係も他人が間に入ることでまた溝が出来

それでも、何か大事なことがあった時は店に行けば会えるんだからそう思っていたけれど、

本当にその大事なときに行ってみれば、お店はシャッターが下り管理会社の看板が貼ってあった。

どうにか会うことは出来たものの、あの場所へ行けば母は変わらず笑顔でいる、

それはなくなってしまった。



学習能力が欠けているのか、また大事な用事がない限り会おうとしないでいたら

父と同じく、母も急死し逝ってしまった。



祖父の時も

父の時も

母の時も

祖母のときも

かわいがっていたペットの時も

死と直面した時には泣けない自分がいた。



初めて泣けることが出来るのは

失ったときではなく、存在しないことを実感したときだ。



存在することは当たり前のことではない

また永遠に存在すると保証されてもいない。

思ったよりもその存在はずっとずっと脆く儚いものである。



目の前のあれこれが

明日も存在すると過信していてはいけない。



目の前のものは明日もそこに存在していても

もしかしたら自分自身が明日はいないかもしれないのだ。



だから大切なことをだいじょうぶ、だいじょうぶと先延ばしにしていると

二度と取り返しのつかないことになるかもしれない。



『あの店、最近行っていないなぁ』

そう思っても『また今度にしよう』そうやって先延ばしにしていたら

思い立って行った時には別のお店になっていたり

そっくりなくなって、コインパーキングになっていたり。



そう考えると一瞬一瞬をだいじに生きないといけないのだな

そう思ったり。





だからと言って、明日はもう存在しないのかもしれないからと

目の前にあるマルセイバターサンドの最後の1個を、今食べてしまうのとは

別次元の話である。




よい週末を。