父が亡くなった日 | 不妊夫婦、顕微授精で娘と出逢う。

不妊夫婦、顕微授精で娘と出逢う。

日常と不妊治療
多嚢胞性卵巣と男性不妊

2019/5妊娠
2020/1女の子出産

2022年に不妊治療再開
2022/8頃 胚盤胞2個戻し初期流産、吸引手術
2023/4頃 胚盤胞2個戻し双子妊娠、切迫流産や切迫早産あり
2023/11に男女双子出産
→不妊治療終了しました

妻:33歳 多嚢胞性卵巣、ポリープ切除済

夫:39歳 男性不妊

娘:4ヵ月 顕微授精で誕生

岐阜の産婦人科通院し

顕微授精3回するが全て凍結できず撃沈

→鹿児島へ引っ越してARTクリニック転院

2019年3月顕微授精5回目

2019年5月3回目の胚盤胞(6BB)移植で妊娠

2020年1月娘を出産

*****


タイトル通り

実父が亡くなりました


自分の気持ちの整理のために

ブログに残します


67才でした


病院嫌いなので

基礎疾患は不明ですが

基本的には治療が必要な持病はなく


本当に

本当に

急に亡くなりました


病名は脳梗塞


肺や心臓の動きを制御する場所が

梗塞してしまい


肺や心臓が動きを止めてしまいました


身体はガッシリして

こないだまで仕事もしてて

体力はあって

血圧も高くなくて


死に至った原因は

ただ単に

梗塞した場所が悪かった

それだけです


防げたものではないし

治療しても治るものでもないと

先生からも説明がありました


経過としては

急に飲み込みできなくなり

身体が傾く症状で

母と一緒に救急受診


CTやMRIの検査でも

脳出血や梗塞は見つからず

検査入院しました


入院時はまだ意識あり

しっかりとしていましたが

コロナ対策で面会禁止のため

私は会うことがありませんでした


入院から2日後の夜中

病院から急変の連絡あり

駆けつけた時には意識はなく

呼吸もなく人工呼吸器に繋がれていて


心臓は動いていて

血圧もしっかりしてましたが

いつ心臓が止まるか分からない、と

先生から言われました


朝になって

仕事を休んで面会に行くと

意識が戻ってました

人工呼吸器で話せなかったけど

手足は自分の意思で動き

目も開いて

口を動かして話そうとしてました


集中治療室で短時間の面会でした

これが最期の姿です


さらに翌日は

コロナで面会禁止だったので

会いに行かず

母だけが面会できて

意識のある父と面会したそうです


手足も動いたので

母は快方へ向かい退院して

家に帰れると思ったようです


病棟受付事務からも

『明日は危篤でなければ

コロナ対策で面会はできない』

そう言われたそうで

尚更に良くなってると

思ったみたいです


ただ、母からの報告では

血圧が140以上あって

前日よりも20近く上がってました


亡くなる少し前は

血圧が上がる事があるので…

母には言いませんでしたが

私は非常に嫌な予感はしてました



日付が変わってすぐ

母から父の状態が

悪くなったと連絡あり


電話がきた時に

ダメだったんだなと悟りました


病院に行った時は

すでに息を引き取って

母や先生が看取った後でした



本当に若いし

初孫が産まれて

仕事を退職して


これから沢山やることあったのに

父は無念だったと思います


うちの娘は

コロナもあったから

産まれてすぐに

父が産院に来た時に

会ったきりでした


意識が無くなった時に

会わせて貰いましたが

父は意識がないし

娘は寝てるしで

ちゃんと会ったのは

1回きりでした


父が抱っこはいいと言ったので

抱っこも触ることもしませんでした


首が座って寝返りも

できるようになったので

緊急事態宣言が解除されたし

週末にでも会いに行って

抱っこして貰おうと

考えていた矢先の急逝


とても後悔してます

あの時抱っこして貰えば

近所だからコロナ気にせずに

会いに行っていれば良かった


一つだけ良かったことは

不妊治療のために

岐阜から鹿児島に

引っ越していたこと


引っ越してなければ

孫も会わず逝ってしまってたでしょう

私自身も赤ちゃんを連れて

県外には出れなかったと思うので

危篤の父に会わず

通夜や葬式も参列できなかったでしょう


不妊治療で引っ越してて良かった

不妊治療ですぐ休めるように仕事を

パートにしてて良かった


危篤の父に会えたのは

不妊治療のお陰でした

そして

長男なのに引っ越しを許して

付いてきてくれた夫のお陰でした


今までも

人はいつ居なくなるか

出来なくなるか分からないから

やらずに後悔するよりは

やって後悔しようと

考えて行動してきましたが


今回のことで

再度、強く思いました


不妊治療は長く出口の見えないトンネルで

挫けそうだったけど

父に初孫も見せれたし頑張って良かった


お父さんさようなら

お疲れ様でした

うちの娘をこれからも

見守っててください