夫:39歳 男性不妊
娘:4ヵ月 顕微授精で誕生
岐阜の産婦人科通院し
顕微授精3回するが全て凍結できず撃沈
→鹿児島へ引っ越してARTクリニック転院
2019年3月顕微授精5回目
2019年5月3回目の胚盤胞(6BB)移植で妊娠
2020年1月娘を出産
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タイトル通り
実父が亡くなりました
自分の気持ちの整理のために
ブログに残します
67才でした
病院嫌いなので
基礎疾患は不明ですが
基本的には治療が必要な持病はなく
本当に
本当に
急に亡くなりました
病名は脳梗塞
肺や心臓の動きを制御する場所が
梗塞してしまい
肺や心臓が動きを止めてしまいました
身体はガッシリして
こないだまで仕事もしてて
体力はあって
血圧も高くなくて
死に至った原因は
ただ単に
梗塞した場所が悪かった
それだけです
防げたものではないし
治療しても治るものでもないと
先生からも説明がありました
経過としては
急に飲み込みできなくなり
身体が傾く症状で
母と一緒に救急受診
CTやMRIの検査でも
脳出血や梗塞は見つからず
検査入院しました
入院時はまだ意識あり
しっかりとしていましたが
コロナ対策で面会禁止のため
私は会うことがありませんでした
入院から2日後の夜中
病院から急変の連絡あり
駆けつけた時には意識はなく
呼吸もなく人工呼吸器に繋がれていて
心臓は動いていて
血圧もしっかりしてましたが
いつ心臓が止まるか分からない、と
先生から言われました
朝になって
仕事を休んで面会に行くと
意識が戻ってました
人工呼吸器で話せなかったけど
手足は自分の意思で動き
目も開いて
口を動かして話そうとしてました
集中治療室で短時間の面会でした
これが最期の姿です
さらに翌日は
コロナで面会禁止だったので
会いに行かず
母だけが面会できて
意識のある父と面会したそうです
手足も動いたので
母は快方へ向かい退院して
家に帰れると思ったようです
病棟受付事務からも
『明日は危篤でなければ
コロナ対策で面会はできない』
そう言われたそうで
尚更に良くなってると
思ったみたいです
ただ、母からの報告では
血圧が140以上あって
前日よりも20近く上がってました
亡くなる少し前は
血圧が上がる事があるので…
母には言いませんでしたが
私は非常に嫌な予感はしてました
日付が変わってすぐ
母から父の状態が
悪くなったと連絡あり
電話がきた時に
ダメだったんだなと悟りました
病院に行った時は
すでに息を引き取って
母や先生が看取った後でした
本当に若いし
初孫が産まれて
仕事を退職して
これから沢山やることあったのに
父は無念だったと思います
うちの娘は
コロナもあったから
産まれてすぐに
父が産院に来た時に
会ったきりでした
意識が無くなった時に
会わせて貰いましたが
父は意識がないし
娘は寝てるしで
ちゃんと会ったのは
1回きりでした
父が抱っこはいいと言ったので
抱っこも触ることもしませんでした
首が座って寝返りも
できるようになったので
緊急事態宣言が解除されたし
週末にでも会いに行って
抱っこして貰おうと
考えていた矢先の急逝
とても後悔してます
あの時抱っこして貰えば
近所だからコロナ気にせずに
会いに行っていれば良かった
一つだけ良かったことは
不妊治療のために
岐阜から鹿児島に
引っ越していたこと
引っ越してなければ
孫も会わず逝ってしまってたでしょう
私自身も赤ちゃんを連れて
県外には出れなかったと思うので
危篤の父に会わず
通夜や葬式も参列できなかったでしょう
不妊治療で引っ越してて良かった
不妊治療ですぐ休めるように仕事を
パートにしてて良かった
危篤の父に会えたのは
不妊治療のお陰でした
そして
長男なのに引っ越しを許して
付いてきてくれた夫のお陰でした
今までも
人はいつ居なくなるか
出来なくなるか分からないから
やらずに後悔するよりは
やって後悔しようと
考えて行動してきましたが
今回のことで
再度、強く思いました
不妊治療は長く出口の見えないトンネルで
挫けそうだったけど
父に初孫も見せれたし頑張って良かった
お父さんさようなら
お疲れ様でした
うちの娘をこれからも
見守っててください