『想ってる』だけでけっこう満足しがちでした。
思いは確かに自分のここにあって、確かなものとして感じられるから。
思っただけでやらないこと。
想ってるけど伝えないこと。
それはそれはたくさん。
よかれと思って、そうしてることもたくさん。
でも、この世界においては
想ってるだけならないに等しい
のだな、と今思うのだ。
この記事でも書いたけど
それはやっぱりそもそもで、スピリチュアルな存在だから。
私にしてみれば、例えば『人に伝えること』一つ取ってみても、
もう充分に有る(感じてる)ものを、さらに目に見えるものにしてみたり言葉にすることで、
なんなら『過剰』な気すらしてしまうのだけど。
くどくどしい、という風にすら感じる。
でも、よくよく考えるとハッとする。
これは、私にしか見えてないのだった。
そうなのだった、と。
出して、初めてカタチが見える。
この肉体を通して、この世界の事象として感じることができる。
だから、やっぱりちゃんと表現しなきゃ、と思った。
それは、感じたことを言葉にするのが大事とかそういう行為レベルの意味での【表現】のみでなく
生きる意味としての【表現】
でないと、きっと生まれてきた意味なんてないのだ。
表現こそが、生きる目的なのだ!
見えない想いを、カタチにする。
コトバにする。
行いにする。
この肉体という個を使って。
いのちを、表現しようぜ♡
それにきっと、死の際には絶対思うはずなのだ。
もっと、感じたかった!
もっと、刻みたかった!
もっと、触れたかった!
もっと、心震わせてこの世界に存在している喜びを感じたかった!
と。
ふとしたことからそんな風に感じて、
今世ますます感じて楽しみたいなと
思ったのでした♡